小児外科では壮絶な闘いの話は聞かない
教授選といえば、『白い巨塔』では壮絶な闘いが繰り広げられる。わが小児外科に関してはそういう噂すら聞いたことがない。しかし、名前は出さないが、ある科では同門会を巻き込む激しい派閥争い、主導権争いが起きて、学内に怪文書が飛び交ったことがあった。個人のプライバシーに関するスキャンダルや製薬会社との癒着など、あることないことが書かれていたと聞く。2000年頃のことだ。
そういう意味では小児外科のようなマイナーな科はぬるま湯みたいな環境なのかもしれない。激しい教授選を闘った件の科では候補3人が全員、教授会の投票で過半数を得ることができなかった。そうなると、その教授選考はいったん流れて再スタートになる。2回目の教授選考には、過半数を獲得できなかった3人は出馬することはできない。あの嵐のような闘争によって、自校の有力候補を3人とも潰し、最終的に他大学からの人材を招聘することになった。
教授になるのは1学年で3人程度
千葉大では教授の定年は65歳なので、教授になるためにはできれば55歳以下が望まれる。60歳ならギリギリセーフである。もし、教授に対して准教授の年齢差が5歳以上なければ、その准教授には教授になる目はない。関連病院に就職するか、他大学の教授選に打って出るしかない。
千葉大医学部は1学年、約120人である。ここから何人の人間が教授になれるか。正確な資料はないが、ぼくが大学で見聞きした範囲では、およそ3人前後である。ぼくの学年も3人。ぼくは医学部6年生のときに、名簿順に5人の仲間とグループを組んで臨床実習を受けたが、この5人のうち2人が教授になった。
55歳で教授になるということは、卒後約30年ということである。だいたい卒後20年もすると、大学に残って講師や准教授をやっている同級生は5人くらいになる。ぼくのときもぼくを含めて4人だった。自然とみんな大学人ではなくなっていくのである。
開業医になる人もいるし、臨床が楽しい(研究が嫌い)と思って関連病院に勤務医として就職していく人も多数いる。そういう意味ではみんなが教授を目指して大学で頑張り抜くという感じではない。大学が好きな人が卒後20年になっても大学に残っているという形になる。

