「豊臣兄弟!」(NHK)に子どものいない秀吉夫婦の養女として登場した豪姫。歴史研究者の濱田浩一郎さんは「秀吉は『豪姫が男だったら関白の座を譲りたかった』と書き遺している。豪姫は結婚し3子を産むが、2人の息子とは生き別れになった」という――。
狩野光信画「豊臣秀吉像」(一部)
狩野光信画「豊臣秀吉像」(一部)、高台寺所蔵(写真=狩野光信/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

秀吉が溺愛した「前田利家の娘」

豊臣秀吉から「最も愛された秘蔵の娘」と評される1人の女性がおりました。その姫は豪姫と言います。「秘蔵の娘」と言っても豪姫は秀吉の本当の娘ではありません。豪姫の父は大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)にも登場する武将・前田利家(加賀藩主・前田氏の祖)です。そしてその母は利家の正室・まつ(芳春院)。豪姫はこの2人の間に天正2年(1574)に生まれました。利家の四女でした。

豪姫の実母・前田利家の正室だった芳春院像(一部)
豪姫の実母・前田利家の正室だった芳春院像(一部)、前田育徳会所蔵(写真=篠原探谷/『加賀前田家百万石の名宝』石川県立美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

利家の娘として生まれた豪姫は、秀吉の養女となります。豪姫が秀吉の養女になったのはいつか。これについては諸説あります。生まれてすぐに秀吉・寧夫妻の養女となったとの説。一方、福田千鶴(九州大学教授)は天正11年(1583)説を採っています。同年、秀吉と利家は和議を結ぶことになり、その際、秀吉は「御息女(利家の娘・豪姫)を養女とし、浮田八郎(宇喜多秀家)を婿にせん」と約束したとあります(前田家家臣「村井重頼覚書」)。また福田氏は天正11年より前の秀吉の書状に豪姫の名が出てこないことから同年説を採っているのです。筆者も「村井重頼覚書」の内容などからそれに従いたいと思います。

ちなみに豪姫の実姉、前田利家の三女、摩阿姫まあひめ(おまあの方)は、秀吉の養女ではなく、側室となりました。

一緒に秀吉に育てられた武将と結婚

では、秀吉が豪姫の夫にしようと「契約」(約束)した宇喜多うきた秀家ひでいえとはどのような人物だったのでしょうか。秀家が生まれたのは元亀3年(1572)のこと(妻の豪姫より2歳年上ということになります)。その父は備前国(現在の岡山県南東部)の武将・宇喜多直家なおいえです。直家は天正10年(1582)頃に病死したと考えられ、その後継となったのが嫡男の秀家でした。父の直家は生前、織田信長に降っており、信長重臣で中国征伐の司令官・羽柴秀吉とも関係を築いていました。年少の頃に父を亡くした秀家は、天正12年(1584)頃までには秀吉に迎えられて、寧のもとで豪姫と共に養育されたとされます。

秀家は秀吉に厚遇され、天正13年(1585)には侍従、天正15年(1587)には従四位下、文禄3年(1594)には従三位・権中納言へと昇進していきます。秀家の「秀」の字も秀吉から一字を与えられたものでした。秀家と豪姫は天正16年(1588)までには結婚したと考えられています。