「その考えは間違えだ」

「力もないのに、力がついたと社員が勘違いしてしまい、驕ってしまうことが一番いけない。必ず負ける」

2001年のことだった、大手商社の会長と鈴木修はゴルフを楽しんだ。ビールを飲みながらの19番ホールで会長は言った。「大不況の中で、自動車産業は頑張っています。トヨタさん、ホンダさん、そしていまやスズキさん。日産さんは経営再建中ですから」、と。

会長に他意はなかったが、鈴木修は「実はスズキにとって、こんな風に言われるのはとても怖いことなんだ。社員のなかにも、会社の好調さはトヨタ、ホンダに続いて、自分たちは来ている、などと考えている向きもいる。勘違いであり、こうした驕りは最も戒めなければならない」

同じ発言は、インドでも発していた。2007年2月、マルチ・スズキの有力ディーラーであるロハンモーターのラメッシュ・スリ会長は、日本人記者団に言った。「マルチ・スズキのシェアは54%。圧倒的な首位です。なので、ライバルなどいません」、と。

すると、同席していた鈴木修は間髪を入れずに口を開いた。

「その考えは間違えだ」、と。

「いままでは作れば売れたが、それはインドには二流の会社しかなかったからなんだ。トヨタやホンダ、プジョー、現代などの一流プレーヤーが(インドに)進出したいまは、環境が変わった。力のない者が実力がついたと勘違いして驕ってしまうと、間違いなく負ける。

配当もいいが、できるだけ内部留保して、いつでも再投資できるように備えなさい」

ちなみに、2000年度(2000年4月~01年3月)の日本市場における国内販売台数は1位がトヨタの約177万台、2位ホンダ約78万台、3位日産73万台、スズキは4位で約62万台(シェアは10.3%)。

これが2024年度では、1位トヨタの約142万台に次いで2位はスズキの約72万台(シェアは15.6%)、3位はホンダで約69万台だった。

現地社員に直接指導する鈴木修
撮影=筆者
現地社員に直接指導する鈴木修

「スズキは浜松の中小企業」

自称「中小企業のオヤジ」とする鈴木修が「スズキは中小企業だ」と訴え続けたのは、会社組織を常に引き締めるためでもあったろう。業績が好調だからと、社員が驕り高ぶり組織が弛緩してしまえば、すぐに会社は左前になることを鈴木修は熟知していた。

「いまは調子がいいからと、安心してしまって社員が何も言わなくなってしまうこと。これがホントに怖いんだ。

会社の経営や商品に対して、批判でもいいから、言いたいことをじゃんじゃん言え、と(幹部社員に)訴えた」

とはいえ、経営会議が鈴木修の独演会となっていた時期は長かった。時間の経過に伴い自身の存在が重くなるほどに、周囲は沈黙していく。理想とは逆の現実と向き合いながら、カリスマは一人で内なる葛藤を続けてもいた。

「どんな会社でも、従業員規模が5000人を超えたあたりから大企業病に陥る。それまでは部課長の名前を全部覚えているが、一万人を超えてしまうと、すべての管理職の名前を覚えるのは不可能である。社員の数が膨張し、組織が巨大化していくと、トップの見えざるところがどうしても大きくなっていく。

だから僕は、毎年工場監査を実施したり、パーティをしたりして、誰がどこでどんな仕事をしていて、どの社員がキーマンなのか、隅々まで把握すべく現場を回っているんだ」

「あいつはふてぶてしいから営業に向いている」

それはウイークディの夕刻だった。新橋の東京支店に、鈴木修から電話が入る。「いま支店にいる全員を集めておきなさい。今晩、みんなでパーティをやる。そう、女子社員を含めてだ」、と。

永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)
永井隆『軽自動車を作った男 知られざる評伝 鈴木修』(プレジデント社)

急きょ会場が手配され、鈴木修を囲んだ宴会が実施された。参加者にとっては、緊張感マックスの場だったのは間違いない。お開きとなり、東京支店長が鈴木修をホテルに送る途中、タクシーの車中で短い会話が交わされた。

「A君はいつから東京支店におる? そうか……、まだ日が浅いんだな……」
「それで、Aが何か……」
「あいつはふてぶてしい。スタッフの仕事よりも、営業に向いている。すぐに異動させなさい。きっといい仕事をする」

かくしてAは東京支店のスタッフ職から営業部門へと異動するが、地方の販社社長などを経験。さらに本社中枢へと出世していく。

ワンマン経営者の鈴木修は、人の才覚、人物を見抜く力をもっていた。

現場を回り、社内外の多様な人と接してきたから得られた、独特の能力だったのかもしれない。