USスチール「完全子会社化」…日本製鉄は再び「世界一」に返り咲くか?

課題は多いものの、株高が続き活気を取り戻しつつある日本経済、そして日本企業。そこへ熱いエールを送るのはボストン コンサルティング グループ(BCG)日本法人やドリームインキュベータを率いた“伝説のコンサルタント”堀紘一さんです。今回は、米国の製鉄大手USスチールの完全買収に成功した日本製鉄の今後を占います。

民主党バイデン、共和党トランプ両政権との長い交渉を勝ち抜いて

2025年6月、民主党のバイデン、共和党のトランプ両政権との1年半にわたる粘り強い交渉の末、日本製鉄(日鉄)によるUSスチールの買収が認められ、日鉄がUSスチールの普通株式を100%取得、完全子会社化しました。投じた費用は日本円で2兆円に上り、買収を主導した橋本英二・日鉄会長は「もう一度世界で復権する」と目標を語っています。

この買収では日鉄によるアメリカ政府、アメリカ国民への配慮が目立ちました。USスチールは日鉄の子会社となっても社名は変わらず、アメリカ東部ピッツバーグにある本社もそのまま残されます。日鉄はアメリカ政府との間で国家安全保障協定を締結、アメリカ政府に対し、1株でも経営の重要事項について拒否権を行使できる「黄金株」を発行することになりました。協定により、USスチールの最高経営責任者(CEO)、最高財務責任者(CFO)など経営の主軸は米国籍の所有者と定められ、日鉄は米国内に新たに製鉄所を建設、研究拠点も設けるとしています。

日鉄による買収には、どういった経営意図があったのでしょうか。また両社の今後の経営はどうなっていくと考えられるでしょうか。

第1に「スケールメリット」を求めての合併である

日鉄によるUSスチールの子会社化は、第1にスケールメリットを求めての計画であろうと考えます。日鉄もUSスチールも、メーンとする事業は粗鋼の生産です。鉄鋼の構造材への加工や生産設備の製造などはグループ内の別会社で行っています。粗鋼生産量で見ると日鉄の世界順位は、中国の2社やルクセンブルクのアルセロール・ミタルに次ぐ4位。単純計算では、USスチールと合算することで3位争いをできる地位に近づきます。

粗鋼は全産業の基礎といえるほどプリミティブな一次産品です。これを効率よく生産するには相応のスケールが必要で、小規模な製鉄会社はコスト面でグローバルな製鉄会社に対抗できません。橋本会長の言葉にみられるように、日鉄としても「USスチールを取り込み、世界でナンバー1の製鉄会社になりたい」という思いがあるのでしょう。

日鉄は世界一の鉄鋼メーカーだった「新日鉄」時代に、今思えばお人好しなことに、中国や韓国の製鉄メーカーに技術供与をし、高品質な鉄の作り方を教えていました。しかし結局、そうやって教えてあげた企業が大きく育ち、粗鋼生産量で追い抜かれたばかりか、中国企業による過剰生産、輸出攻勢で世界的な市況の低迷を招いてしまいました。

したがって、これからは技術力で秀でるだけではなく、生産のスケールによる価格支配力を取り戻さなくてはならない。これが日鉄だけではなく、先進各国の製鉄会社が得た教訓だったのです。

日本とは違うアメリカの「工学部」事情…メーカーに優秀な人材が来ない!

ところで、ひと口に「鉄」と言っても、いろいろな種類があります。たとえば自動車のボディーに使われる「ハイテン」と呼ばれる高張力鋼板は、「これ、鉄なの?」というくらい非常に薄く軽量で、それでいて成形性と強度に優れています。薄い鉄鋼を使うことで自動車の燃費を上げることができ、衝突時には車体がくしゃくしゃになって衝撃を吸収し、中の人を守ります。

こういった特殊鋼板については、世界中で需要があるものの、どの国でも簡単に作れるわけではありません。アメリカの場合、これまで自動車用の特殊鋼板のほとんどを輸入に頼ってきました。しかしトランプ政権は2025年3月、鉄鋼・アルミニウムの輸入品に25%の追加関税を課す措置を発動し、6月にはその税率を50%に引き上げています。

日鉄はUSスチールの米国内の生産拠点を活用することで、これまで日本から輸出していた特殊鋼板を米国内で生産し、関税を回避することを計画しているようです。今、世界の製鉄会社は中国企業の過剰生産とダンピング輸出によって苦しめられていますが、トランプ政権が輸入鋼板への高関税を続けるなら、米国内で生産・供給できる日鉄とUSスチール連合は有利なポジションを確保できることになります。

粗鋼の生産は、典型的なオールドエコノミーです。それでも日本の場合は企業の歴史があり規模も大きいことから、東京大学や早稲田大学など名門校を卒業した優秀な人たちが製鉄会社に就職して、今も研究を続けています。結果、どんどん新しい種類の鉄ができているわけです。

一方のUSスチールはというと、優秀なアメリカ人学生が「入りたい」と思う会社ではなくなっています。アメリカの若者には製造業全般が不人気ですが、製鉄業はその代表格。さらに言えば、今、アメリカの大学の工学部は凋落の危機にあります。一流大学の工学部といえども、学生は中国系やヒスパニック系の人たちが目立つといいます。もちろん人種構成がどうであれトップレベルの優秀な学生が集まっているならいいのですが、そうではない。優秀な学生が入ってこないと、モラルも低下します。アメリカの鉄鋼業の没落には、USスチールの経営云々以前に、アメリカの工学部のレベル低下が大きく関係していると私は感じています。

そうした状況を放置したまま、トランプ政権が海外から輸入する鉄鋼に高い関税をかけたとしても、それでアメリカの製鉄業が復活できるでしょうか。できるわけがありません。

十分な技術がなければ生産できる鉄の種類も限られ、最近の新しい需要に合うものは作れません。一方で日鉄はそれを作ることができます。ただ彼らも中国や韓国で懲りたので、全く関係のない他社に技術だけを供与するということは、もうしないでしょう。そんなことをすれば、数年後に自分たちに跳ね返ってきてしまうと身にしみているからです。

しかし「自分たちの仲間になるなら教えてもいい」ということはあります。つまり資本関係があれば技術を教えるけれども、ないのであれば教えないということです。

USスチールの経営陣も、高い技術を持った日鉄とシェアを争うより、その軍門に下った方が生き残れる確率が高いと考え、買収で世界一を狙う日鉄に対して「わかりました。仲間になります」と合意したわけですね。

アメリカ政府にも従業員にも有利な「日鉄の子会社化」

それに「待った」をかけたのが、アメリカ政府です。

彼らは技術がわかっていません。トランプ大統領は不動産業界で、「今すぐ手付けを打たないと、もうこの土地は手に入らないよ」といったブラフを使いながら契約をまとめてきました。いわば恫喝によって交渉を成功させ、のし上がってきた人物です。それがビジネスだと思っているので、大統領になってからも同じように交渉しています。

残念ながら技術や研究の成果は、恫喝では手に入りません。コツコツ勉強し、研究と実験を積み重ねなければ、新しい技術は実用化できないのです。それがわからないから、「鉄は国家なり」と言われるほど重要な鉄鋼業で、「かつて世界一だったUSスチールが日本企業の子会社になることなど、絶対に許せん」と息巻いているわけです。

とはいえトランプ大統領も、大統領就任後に少しは勉強したようで、「これは駄目だ。USスチール単独では生き残れない」とようやくわかってきたのではないかと思います。それで買収を認めたものの、「経営陣はアメリカ人しか認めない」とか「黄金株を発行させて、肝心なことはアメリカ政府が決める」といったわがままを言っています。現代社会では考えられないような横暴な条件をゴリ押ししてきたわけです。

もしトランプ大統領の言う通りにしていたら、USスチールが倒産することは間違いないでしょう。ただトランプ大統領にしても倒産させるのが口を挟む目的ではありません。要はアメリカの労働者の支持がほしいのです。

日鉄は、USスチールの雇用を守ると言っています。日鉄が助けなかったら、USスチールには倒産以外の道はなかったでしょう。理詰めで考えれば、日鉄の言うとおりUSスチールが日鉄の子会社になるというかたちにしたほうが、USスチールの従業員にとっても有利であり、アメリカ政府にとっても望ましいことなのです。

簡単な道のりではないが、日鉄の奮闘に期待したい

ただし本当に助けられるかどうかは、実際にやってみないとわかりません。

アメリカの労働者は、トランプ政権が思っているほど愚か者ばかりではありません。もし日鉄による救済がうまくいき、「マネジメントが変わった結果、経営がいい方向に向かい、自分たちの雇用も守られた」と感じれば、戦闘的と言われるアメリカの労働組合も日鉄に協力するようになるでしょう。

決して簡単な道のりではありませんが、私は日鉄の今後の奮闘に期待したいと思っています。

(構成=久保田正志)