証券連載

「人口世界一」「IT人材輩出国」の明と暗…なぜ十数年前の私はインド進出をためらったのか

マネーで読み解く「世界のかたち」
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2024年3月期の国内上場企業の純利益が史上最高を更新しそうな一方で、アメリカではトランプ大統領が関税の大幅引き上げを実施、世界経済はおかしくなってきています。こうした流れを早くから予測し、日本企業、日本経済へのエールを送ってきたのが、 “伝説のコンサルタント”堀紘一さんです。今回は世界一の人口大国インドに注目。特有の問題も多く一筋縄ではいかないといわれるインドですが、日本企業が輸出や工場進出を行う際にはどのような注意が必要なのか、また日本人がインド株に投資することをどう評価するか、独自の視点から読み解きます。

「進出」を断念…成長市場というだけではないインドの現地事情

最初に断っておくと、インドは市場の巨大さ、人材の豊富さなどいろいろな面から見て大変魅力的な大国です。これからもっと成長するだろうし、世界でその存在感を高めていくでしょう。ただ、そういう前提を置きながらも、現実に生身の人間がビジネスを行う場所としてはどうなのか、というところから私なりの「インド論」を始めようと思います。

今から十数年前、ベンチャー支援コンサルティングのドリームインキュベータ会長であった当時、インドに子会社をつくろうと計画し、現地を視察したことがあります。

渡航するに当たって、インドではおなかを壊しやすいと聞いていたので、対策として紙皿や紙コップ、使い捨てのプラスチック製ナイフやフォーク、割り箸、さらに2リットル入りのミネラルウォーターのボトルを段ボール10箱分持って行きました。ところが、「ここまでやれば大丈夫だろう」と思っていたら甘かったようで、結局ひどくおなかを壊してしまいました。

知る人に言わせると、「少なくとも3回はおなかを壊さないと、インドでは生きていけない」のだそうです。

帰国のため空港へ向かう途中、見ると道端に人が倒れていました。「あれは何ですか?」と同行していた現地の人に尋ねたところ、「死んでいるんです。片付ける人がいないんですよ」と言われて仰天しました。

視察を終え、私は「もし今インドに出ていけば、確実に儲かる」と感じました。その一方で「今の様子では送り出す社員が気の毒だ」とも感じました。

子会社を現地社員だけで運営できればいいのですが、当面はそれも難しい。日本人を駐在員として送り出し、もしも病気で死なせてしまったりしたら、家族に対しておわびする言葉もありません。

結局そのとき、私はインドに子会社を出すのは見送ることにしました。

その代わりというわけではありませんが、ドリームインキュベータでは2016年にインドのベンチャーキャピタルに出資、2018年にはインドのスタートアップ企業に投資するファンドも立ち上げています。

ことほど左様に、市場としてはたいへん魅力的だが、衛生面をはじめとした苛烈な生活環境が先進国の人間を簡単には寄せ付けない。それがインドなのです。

インド進出の成功事例…スズキの工場を見学して考えたこと

インドでは自動車会社のスズキの現地工場を見学させてもらいました。

インドではスズキと現地企業との合弁会社、マルチ・スズキ・インディア社が自動車業界で40%以上のシェアを占めており、インド国内にいくつか同社の工場があります。

外国の工場では普通、工員はみんなゆっくり歩いているもので、工場内で走っている人がいるとしたら日本人だけです。しかし私が見学したこの工場では、インド人工員が小走りで移動しながら、「セイリセイトン(整理整頓)!」と日本語で声をかけていました。

スズキはどうやら日本式をそのままインドに取り入れて工場を運営しているようです。立派な工場で、私は見学して感嘆したものでした。

もし私がインドで工場を経営することになったら、「共通言語の英語で指示しよう」と考えたかもしれません。しかしスズキは自分たちのやり方をそのままインドに持ち込み、大成功を収めたのです。

その当時、インドでは大勢の人が自動車のことを「スズキ」と呼んでいました。ベトナムの「ホンダ」と同じです。ベトナムではオートバイに乗る人が多いのですが、同国でのホンダのシェアは80%以上もあって、現地ではオートバイのことを「ホンダ」と呼んでいたのです。ヤマハは「ホンダのヤマハ」と呼ばれていました。

その頃すでに中国のオートバイメーカーも進出してきていて、ホンダの半値で売られていました。「安いのに何で買わないんですか」と現地の人に尋ねると、「堀さん、中国のオートバイを買ったら、1カ月以内に壊れてしまいます。でもホンダは5年以上もつんです」と言われました。それほど品質が違うなら、少しくらい高くてもホンダを買いますよね。

スズキもおそらく日本式を徹底することで日本並みの品質の自動車を生産し、人気となったのでしょう。

ただ品質という意味では、スズキと他の日本の自動車メーカーを比べても、あるいはホンダとヤマハを比べても、それほどクオリティに差があるとは思えません。それなのにこれだけシェアが違うのは、初めてその国に行った駐在員たちが頑張ったからでしょう。

初めに行った人次第で、その国における企業のシェアは大きく違ってしまう。ビジネスというのはそういうものだと、私はそこで教わりました。

インド人の特徴「頑固で理屈っぽい」は発展を阻害している

働き手としてのインド人はどうでしょうか。

インドの場合、イギリスの植民地だった期間が長く、このため働く人に植民地根性とも言うべき傾向もみられるようです。働いてもいないのに働いているように「見せかける」技術がうまいと言う人もいます。しかしその一方ではスズキの工場のように、日本式を学んで工場を走って整理整頓しているインド人もいるわけです。

これからインドに進出しようとする日本企業には、インド人について覚悟してほしいことがいくつかあります。

ひとつはものすごく理屈っぽいということ。理屈っぽいというのは合理的であるということでもあって、必ずしも悪いことではないでしょう。しかしインド人は自分が失敗しても死ぬほど理屈をこねて言い訳してくるので、ほとほと嫌になってしまうことも少なくありません。

もうひとつは頑固だということ。私はいろいろな国に行きましたが、インド人ほど頑固な人たちは知りません。

10年ほど前、私が香港の高級ホテルのフードコートで食事をしたときのことです。私がフードコート内のインドカレー店でカレーを注文すると、おまけとして中にひき肉の入った小さなピロシキのようなインド風揚げパンを6つ付けてくれました。「こんなに食べきれないよ」と思いながらそれを持って席についたのですが、そこで私のすぐ後から、おそらくまだ十代だろうと思われるインド人の女の人が入ってきて、やはりその店でカレーを注文しました。ところが彼女はお金を払う段になって、店の親父さんと口論を始めたのです。

彼女の主張は「前の客(つまり私)には揚げパンを6個渡したのに、なぜ私には4個しか渡さないのか」ということ。

店側は「前のお客さんは高いカレーを注文した。しかしあなたが注文したカレーは高くない。だから前のお客さんには6個、あなたには4個なのだ」と説明しました。なるほど理屈は通っています。ところが彼女は「いや、店は全ての客に平等に接するべきだ。私は6個の揚げパンをもらう権利がある」と強硬です。明らかにまだ十代としか思えない女性が、ずっと年上の店の親父に向かって、相手の言い分は絶対認めず、カウンター越しにゴリゴリ文句を言っているのです。

日本では若い女性はそんなことはまずしないでしょう。たとえ頭で「私だけなぜ4個なんだ」と思っても、口に出す人はほとんどいないでしょうし、言ったとしても店の説明で納得するはずです。しかしインドの女性はそうではないのです。

私は彼らの言い合いが耳に入ってしまったので、「ぼくはこれ全部は食べられないから、あなたにあげるよ」と揚げパンを2つ、女性にさしあげました。女性はそれによってなんとか引き下がったのでした。

私はそのとき、「これからこの人たちが経済発展して、十数億人が世界中に出てきたら大変だな」と思いました。日本人がインド人と論争することになったら、負けるのは目に見えています。議論すること自体が面倒くさくて、一方的に引き下がってしまうのではないでしょうか。

ただそういう自己主張が経済発展につながるのかと考えると、これは疑問です。みんなが自分の権利ばかり主張していては話がまとまらず、伸びる経済も伸びないと思います。日本人であれば「ガタガタ言ってないで働け!」と一喝するところです。

今もしぶとく生き残る「カースト制度」の問題点

それにしてもインドはなぜ、独立後も長い間発展途上国のままだったのでしょうか。

GoogleのCEOであるスンダー・ピチャイ、MicrosoftのCEOサティア・ナデラなど、IT業界では多くのインド出身者が世界企業のトップを務めています。それぐらいインドは優秀な人材を輩出しているのですが、それは今に始まったことではありません。

この問題について、イギリスのオックスフォード大学を卒業したインド人と意見交換をしたことがあります。彼はおじいさんも植民地時代にインド国鉄の幹部だったというインテリ一族です。

「この国には優秀な人がすごく多いのに、なぜなかなか発展できなかったのだろう」と私が尋ねると、彼は2つ理由を挙げました。

ひとつは、民間企業で生き残っているカースト制度です。インドの人に公式にカースト制度について尋ねると、「そんなものはない」とか「もう関係ない」という言葉が返ってきます。しかし実際には関係ないのはごく一部。例えばインドのシリコンバレーと呼ばれる新興都市バンガロールでIT企業に勤めるのであれば、カーストとは関係なく最下層でも雇ってくれるでしょう。しかし、それ以外の土地ではまったく事情が異なります。

例えばムンバイ、ニューデリーといった都会で、民間企業がアンタッチャブル(不可触選民)と呼ばれる人たちを雇い入れると、それ以外の社員が嫌がって辞めてしまうのだそうです。だから企業はそういう人たちには事実上、門戸を閉ざしてしまう。結局、表に出てこないところでカースト制度はまだ生きているのです。

今後はせめて「朝9時から夕方5時までの働いている間は、カーストは関係ない」ということにしないと、進出企業にとって大きな制約ができてしまいます。

もうひとつもカースト制度に関係しますが、政治の問題です。インドは世界最大の民主主義国家といわれますが、そこにカースト制度が絡むとややこしいことになってしまいます。「インドで首相になろうとしたら、最下層のカーストから出馬しなければいけない。そうでないと票が集まらないからだ」と彼は言うのです。

なるほど、そういうこともあるのかもしれないと思いました。

圧倒的に人口が多く、識字率の低い農村人口をどうするか

ほかにも問題はいくつもあります。

最初に挙げたように、もう少し居住環境や衛生面を考えないと教育ある外国人がやってこないということ。インドの生産設備やシステムはまだ進歩的とはいえないので、先進諸国から技術を持つ人たちに来てもらう必要があります。

人口の多くを占める農村の住民をどう教育していくかという問題もあります。

インド財務省発行の経済レポートによれば、現在はインドの全人口のうち3分の2が農村部に暮らしています。彼らは小さいときから親の野良仕事を手伝って働き、小学生のうちに学校を中退してしまう子も少なくありません。結果、農村の識字率は60%程度にとどまっています。中国やインドでは、都市と農村の間に日本では考えられないような格差があるのです。

言語の問題もあります。インドでは連邦政府レベルでの公用語はヒンディー語とされる一方、憲法で存在を認めている言語だけで22言語があり、地域特有の第一言語となると、2000以上もあるといわれています。お互いの言っていることがわからないと組織としてまとまれないので、ここはなんとかしなくてはいけません。

ただこの問題は、解決する意思さえあればなんとかなります。

中国もかつては各地ごとに言葉が違っていて通じなかったものが、中華人民共和国ができてからは、北京語が中国語ということになりました。昔と違い今はテレビもあるので、あっという間に中国中の人が北京語を話すようになったのです。

実は日本も明治以前は、少し離れた地域の人同士だとまったく言葉が通じなかったといわれています。例えば江戸城を開城するときの勝海舟と西郷隆盛の会談には、間をつなぐ通訳がついていたという話です。それを明治政府が東京の言葉を日本の共通語に定めたのです。

言葉は重要です。中国でも日本でも、国内の言葉を統一したことがその後の経済発展の基礎となりました。

インドの場合はどうするのがベストでしょうか。一番早いのは公用語を英語に統一することでしょう。インドも言葉を統一できれば経済成長に有利と思われますが、中国や日本のように簡単には方針がまとまらないかもしれません。

3億人の英語話者、豊富なIT技術者…前途洋々のインド経済

いろいろ問題はあっても、インド経済はこれから大いに発展し、世界経済の中心になっていくと私は見ています。

国連人口基金(UNFPA)によればインドの人口は現在14億人台で、2023年に中国を越えて世界一になったと推定されています。現在も増え続けており、2050年には16億人台になっていると予想されています。

現時点の平均年齢は28歳と、日本の48歳と比べて20年若くなっています。これは経済成長において圧倒的に有利な条件です。

多言語とはいうものの、インドではすでに英語が準公用語になっており、人口の2割近くが英語話者とされ、それだけでも3億人近くになります。しかも英語を話せる人の割合は直近5年ほどで大きく上がっています。インド人の英語は癖があって慣れないと聞き取るのがとても難しいのですが、それでも英語が話せることは大きな強みです。

またインドではIT教育に力を入れており、理系の大学や学部が全国に3000以上あるといわれます。

数学が得意であることは、これからのIT社会で大きな武器です。コンピューターは0と1の2進法で計算しますが、その0を発見したのはインド人です。数学と英語ができて若いのですから、これから経済が発展するための素地は十分といえるでしょう。

しかも彼らの給料は先進国に比べてかなり安いのです。これほどIT企業にとって好条件な国もありません。インドは今、世界で一番有利なポジションにあり、これから大発展することは確実と私はみています。

したがってインド株に投資するのは正しい判断です。今40歳以下の人であれば、インド株の投資信託を毎月積み立てるようにしておき、そのまま忘れてしまったらいいでしょう。定年を迎えたときに「どうなっただろう」と思い出して金額を確認してみたら、老後に優雅に暮らせるぐらいに増えているかもしれません。

懸念点もいろいろと挙げましたが、それくらいインドは前途洋々の国だと言っていいのです。

(構成=久保田正志)