「正しい姿勢」で解けた男性の行動のなぞ

ゆったりと運転席に座り、堂々と目的地を見る。その状態で他の標識や歩行者、信号などの全体を把握するためには、それら一つひとつに関する情報の解像度はある程度下がります。

人や周りに危害を加えるものに乗り込み、自分自身が加害性のある存在となった状態で、目の前の景色の全体をぼんやりと見つめ、「目的地を目指す」ことを行動の最も重要な指針とする。

その感覚を体感した時、今までの人生で「なんなんだろう?」と思っていた“男性たちの行動”が「男性ってこういう視線で世界を見ているんだ!」と繋がったのです。

そしていろいろな「男性あるある」な場面が浮かびました。

例えば保護者の集まりでパパとママが集まると、近づいてキャーキャーワイワイと話を弾ませるママたちに比べ、パパたちは隅のほうで単独で点々と立っていたりする場面。スーパーで買ったものを袋詰めしているおばあさんの横で、じーっと立って待っているおじいさん。子どものことで必死になっている妻に比べて「大丈夫でしょ」とゆったり落ち着いている夫。女性が「こんなにつらいことがあったの」と落ち込んでいる時に「それならこうすればいいじゃない」と解決法を提示して「そういうことを言ってほしいんじゃない」と叱られる男性。

別にそれらの行動はハッキリと男女で分けられるわけではないけど、そういった「どうして男は黙ってるんだ? 動揺しないんだ? なぜここでへっちゃらなんだ? なんで無表情? どうしていつも最終地点のことを言いたがるんだ?」と思った記憶が一気によみがえり、彼らと“侍マインドになっている私”が重なったのです。正しい姿勢で運転をした時に。

「ビビらせるくらいなら余計なことはしない」

男性は女性よりも「あなたは悪いことをやらかしやすい存在である」と教えられる機会が圧倒的に多いと思います。

特に女性に対しては、力の強さや妊娠させる側の性別として「お前は加害性のある側の人間である」「あなたの行動で女性をビビらせる可能性がある」「ビビらせてはいけない」というメッセージを、小さい頃からいろんな形で叩き込まれ、受け取りながら大人になるんじゃないでしょうか。

女性はそういった教えはほとんど受けません。むしろ「被害に遭いやすい性別だから自衛しろ」ということばかり言われます。

つまり、女性に比べて男性は「他人に危害を与える恐れのある車に乗っている状態」に近い感覚を幼い時から持たされやすい性別であると言えるのではないでしょうか。

そういった社会的な教えの中で男性という性別に属する人たちの多くは「ビビらせるくらいなら余計なことはしないほうがいい」という感覚を同時に養っていくのではないかと想像しました。「何もしない」「動かない」というのは、危害を加えやすい側の、最善の安全対策でもある場合があるからです。