「女性活躍」の意味を履き違えている現代の女性

そもそも明治5年に発布された「学制(日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令)」の段階で、男女平等教育の根本には「母親として妻としての能力を高めるために女子教育が必要だ」という考えがあり、明治32年の高等女学校令によって、女子教育の目的は「良妻賢母を育てるべし」と宣言されました。キリスト教系の女学校も、そうした時勢のなかで、いわゆる良妻賢母養成機関となってゆきました。

さらに、明治後半から大正初期にかけては、経済の発展によって「男性一人稼ぎ手モデル」が生まれ、専業主婦化が促進されました。女性の社会進出が衰退した背景には、女性たち自身が生計のために働くよりも、「そのほうが楽しい」という判断をした面もあります。

▼原動力の違いが、結果を分ける

このような明治期にあって、男性と同等に活動しようとするのは並大抵のことではありません。

彼女たちの仕事や社会進出の原動力は、自分本位の「自己実現」ではありません。これからの社会をよくしようという、社会貢献的な意味合いや、家族の生活費や学費を稼ぐといった責任感が強かったのです。また、当時、教師や医師など女性の数少ない専門職に就いた人たちには、女性の自立や社会貢献の可能性を拓くという気概がありました。そういった強い信念があるからこそ、不遇な境遇にも負けず、信じる道を邁進できたのでしょう。

一方、現代の日本は社会としては成熟し、明治に比べてそれなりに男女平等も浸透しています。そんな時代に女性が「活躍」を目指す原動力は、多くの場合、自己実現です。それ自体を全否定はしないのですが、「活躍」という言葉を「社会の役に立つ」ではなく、「メディアに注目される」ことだと誤解して、脆弱な動機づけで有名人を目指す女性が多いのはとても残念です。

たとえば、STAP細胞論文問題では、博士論文の20ページ近くがアメリカの研究所のホームページの丸写しで、いくつかの画像の盗用もわかりました。真摯な研究姿勢があれば、盗用を自分で恥ずかしいと思うはずですが、近年は残念ながら決して特殊なケースではありません。17年も、某有名国立大学のある女性が提出した博士論文に、不適切な箇所が合計320カ所も見つかり、学位授与取り消しになっています。

社会貢献や真理の探究という誠実な動機よりも、肩書としての博士号取得や虚栄心の満足を主目的にするのは、「活躍」の意味を履き違えた結果でしょう。

▼実力よりも重視されるもの

政界に身を置いたことはないのであまり突っ込んだことは言えませんが、政治の世界も研究の世界と同じで、能力や信念だけでは上に認めてもらえない現状があるのではないでしょうか。組織内での「根回し」や「要領のよさ」、嘘さえ上手につく「アピール力のうまさ」が功を奏してしまい、「上」に取り入るのが上手で、男のプライドを傷つけない程度の実力の女性が目立つポジションに就くことがありがちです。

そういう女性に対しては女性同士でも、ならぬことはならぬの精神で毅然と対峙し、明治の女性たちの気概に学ぶのが、真の男女共同参画であると思います。

佐伯順子
同志社大学大学院 社会学研究科教授
1961年、東京都生まれ。学習院大学文学部史学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化博士課程満期退学。国際日本文化研究センター客員助教授、帝塚山学院大学教授などを経て、現職。『「色」と「愛」の比較文化史』(サントリー学芸賞受賞)など著書多数。
(構成=大高志帆)
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