愛子内親王と悠仁親王のそれぞれの道
このたび拙著『日本人にとって皇室とは何か』が4月25日に刊行されることになった。
そのなかでは、愛子天皇待望論の高まりや、悠仁親王の進路や成年式などホットな出来事についてもふれている。あわせて女帝の歴史や平安時代の後宮のことなど、これまで論じられてこなかった事柄についても述べてみた。
もちろん、安定的な皇位継承や皇族の数の確保など、難しい問題にどう取り組むべきかも論じたが、そうしたことを書くことで改めて気になってくるのが、今後の愛子内親王と悠仁親王のことである。
愛子内親王のほうは学習院大学を卒業し、2024年に日本赤十字社に就職して以降、精力的に公務に取り組み、国民の前に姿を現す機会も増えている。それが、愛子天皇待望論を活性化させることに結びついているのだが、では、悠仁親王の場合はどうなるのだろうか。
今年の9月6日が悠仁親王の19回目の誕生日であり、その日に「成年式」に臨むことになる。成年式は、男性の皇族だけのものだが、これによって、未成年の皇族がいっさい存在しないという異例の事態が生まれることになった。そこに、皇室の危機的な状況が示されているとも言える。
筑波大学で学業に専念する悠仁親王
悠仁親王が成年皇族になったことで、数々の公務に取り組むことが期待される。だが、悠仁親王は今年の3月に筑波大学附属高等学校を卒業した後、筑波大学生命環境学群生物学類に入学しており、現在は大学生である。
生物学に関心を向けるというのは、昭和天皇以来の伝統である。昭和天皇は、海に住むヒドロゾアと粘菌を研究し、多くの新種も発見している。皇居のなかには、「生物学研究所」が設けられ、そこが研究の拠点になった。それは、現在の上皇にも受け継がれ、長年にわたってハゼ類の分類についての研究を進めてきた。それに関する著作も多い。
こうした関心は、さらにその次男である秋篠宮にも受け継がれ、大学では政治学を専攻したものの、卒業後は、魚類や家禽類の研究を行うようになった。上皇と共同で執筆した論文もある。そうした学問分野への関心が、悠仁親王にも自然と湧き上がってきたようだ。皇居が多様な生物種に恵まれていることも、そこに関わっている。
だが、これからの4年間、悠仁親王は筑波の地で学生生活を送ることになる。車で通学するのか、それとも筑波で生活するのか、それが注目されてきたが、学業に専念しなければならない期間が続くことは間違いない。
成年皇族となっても、学生である間は、ほとんど公務に携わることはない。愛子内親王の場合も、活発に公務をこなすようになるのは大学を卒業してからだった。