昨日、母は帰っていった
故郷が、流されている――。
2011年3月11日、大地震が東京白金台の結婚式場として知られる八芳園を襲った。後に東日本大震災と呼ばれる甚大な災害だった。

訪れたゲストたちの手を握り「みなさま、落ち着いてください。大丈夫ですから」と声をかけて回る八芳園の柳井聡子さんの目に映ったのは、津波に襲われる故郷・陸前高田市のニュース。
奇しくも、前日まで一緒に東京にいた母が帰っていった場所だった。
育児が落ち着いて…3年ぶりにキャリアがスタート
柳井聡子さんは明治学院大学経済学部卒業後、大手設計事務所の社長秘書や教育関連企業を経て、子育てが落ち着いた2010年に八芳園に入社。
「子どもが生まれて3年間は、家庭の事情で働くことができなかったのです。落ち着いた頃に未経験・年齢不問で雇ってくれるところが無いかな、と探していたときに見つけたのが八芳園。出身の明治学院大学のすぐそばにあって、大学生のときに所属していたテニス部の打ち上げもここでやったことがありました。昔から『こんなところで働けたら素敵だなぁ』と思っていたので、採用いただいたときは『もうここしかない!』と嬉しくって。夢を叶えるような気持ちで入社しました」(以下、柳井さん)
2010年秋に48歳で八芳園に入社した柳井さんは、ゲストリレーション部門にサブマネージャーという立場で配属になった。
「ゲストリレーションとは、お客様を案内すること全般を指します。荷物を預かるクロークや更衣室へのご案内など、婚礼をされるお客様に必要なことを幅広くご案内する役目。配属されたからには、この年齢ですし『旅館の女将さんみたいな存在になろう』と意気込んでいました」
やる気をみなぎらせて入ったゲストリレーション部門で待ち構えていたのは、自分よりぐんと年下の同僚達だった。