出会いの反転する相対性
先述の通り、この物語は予期せぬ展開を見せる。女性F*の全く別の、語り手が知らなかった否定的な側面が突如として現れてくる。深く興味深い出会いをしていると思っていたが、彼女には全く別の側面、顔があったのである。
出会いがいかに本質的であったとしても、瞬間的で部分的であるからこそ、最初の出会いではわからなかった側面がのちに現れてくることは多い。あるいは出会いは時とともに裏の関係に開かれていき、それはまた思わぬ形での新しい出会いになるのかもしれない。
彼女については当初〈醜い仮面と美しい素顔〉とされていたが、醜い仮面の下にあったのは、美しい顔ではなくて、人を騙したり、罪を犯したりするような、もっとおぞましい姿であったのである。あるいは音楽についての高尚で洗練された議論をしていた輝かしい彼女には、それとは全く異なる、人を騙して金銭を集めようという犯罪に関わる闇の側面があったのである。
その二つの世界はパラレルワールドのように、全くつながりがなさそうである。しかしそれはひとりの人物の二面性に他ならず、この出会いはさらに古い記憶を語り手に呼び覚ます。こうした苦い悔恨は、いわば語り手の自画像でもある。美醜の如く、反転する光と影、すなわち出会いの相対性がそこにある。
1957年生まれ。臨床心理学者、臨床心理士・公認心理師。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。Ph.D(. チューリッヒ大学、1987)、ユング派分析家資格取得(1990)。甲南大学助教授、京都大学大学院教育学研究科教授、京都大学こころの未来研究センター教授・センター長を経て、現在、京都こころ研究所代表理事。IAAP(国際分析心理学会)会長(2019-22)。著書に『心理療法家がみた日本のこころ いま、「こころの古層」を探る』(ミネルヴァ書房)、『村上春樹の「物語」 夢テキストとして読み解く』(新潮社)、『心理臨床の理論』『ユング 魂の現実性』(共に岩波書店)、『夢とこころの古層』(創元社)、『村上春樹で出会うこころ』(朝日選書)など。