上昇率2%の物価目標に意味はあるか
投資について言うと、1990年代初頭から日本は経済成長が停滞した「失われた30年」とも言われるデフレ状態に長らくありました。そうすると、この間は金利も付かなかったけれども、貨幣価値も落ちなかった。投資をしていなくても痛くも痒くもなかった。
今は毎年2%ずつ物価が上がっていくことを日本の政官界・経済界は目標として掲げています。けれど、そのようなことに意味があるだろうか、と私は思うわけです。日本が仮に鎖国して江戸時代のように経済が停滞をして値段もあまり変わらず行くのなら、そのほうが幸せなのではなかろうか、と。
無理やり何でもかんでも値上げさせて、「だから投資しろ」と勧めるのは、人を騙しているのではないかという気になります。
投資とは金持ちのすること
実際に投資して得をするのはお金持ちだけです。「500円からでもできます」などという甘言に乗せられて「じゃあ、1000円にします」といっても、結局「1000円ではやはりなんですから、最低10万くらいはなさらないと」とかいうようなことになる。

たとえば、ワンルームの家賃が10万円以下の所に住んでいる人が、なけなしの10万を投資に回して、何年後かに10万1000円になったとします。そんなことに何の意味がありますか。投資というのは、煎じ詰めれば、金持ちのすることなんです。
父祖伝来のお金持ちの人や、都市近郊の金満地主さんたちなどは、可処分所得というものが膨大にあるわけです。一方、大多数の我々庶民は、かつがつの収入の範囲で暮らしている。だから、節約ということをうるさく言うのです。
もし私が仮に億万長者で、月せいぜい50万もあれば十分暮らせるなと思っていて、銀行に置いてある金が10億円くらいあるとします。この10億円をそのまま銀行に置いといても、あまり利子が付かないでつまらないと。それだったらこの10億を、片方は国債や株式を買おう、片方は土地に投資をしようとか、目減りをしないように分散して投資します。そうすれば、これからインフレターゲットで物価が上がっていったときに損をしません。
けれども、どこにどのように投資するか、ということは、言うは易くして、じつは行なうは簡単ではありません。そうそう美味しい話などは、そこらに転がってはいないのです。
1949年、東京生まれ。作家。国文学者。慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。専門は日本書誌学、国文学。著書に『イギリスはおいしい』『節約の王道』『「時間」の作法』など多数。『謹訳 源氏物語』は源氏物語の完全現代語訳、全10巻既刊9巻。