インタビュー中、大谷が打席に立つと…
奥州市は人口10万8000人ほどの地方都市で、「活気あふれる中心部」とは言い難い。牧場、りんご農園、鉄器などで知られる市内の道は、時折静まり返ることもある。しかし、このコレクションのおかげで、菅野は世界と驚くほどつながるようになった。
その人物の1人に、MLBの元選手で現在ドジャース専門放送局のアナウンサー、ホセ・モタがいる。
「しょっちゅうチャットしているんですよ」菅野は語り、スマホを取り出した。
昨日、菅野はそのスマホで、奥州市が地元の文化会館で主催したワールドシリーズのパブリックビューイングで、ドジャー・ブルーのユニフォームを着たたくさんの観客と一緒に撮った写真をモタに何枚も送っていた。
「素晴らしいね」とモタは返信していた。
第4戦の3回、第2戦で肩を亜脱臼した大谷がバッターボックスに立った。
「昨日よりいいスイングをしてる」と菅野が観察する。
しかしポップフライに倒れる。
「ああ……まだ怪我の影響があるのかも」とがっくりする。
大スターの「実家」が隠され続ける秘密
奥州市の多くの人々と同じように、菅野は地元ならではの方法で大谷を守りたいと思っている。
たとえば市外の人は、大谷がほぼ毎年両親に会うためにここに戻ってくることをほとんど知らない。
昔からの住民には帰国のスケジュールを知る人も多いが、メディアにそのスケジュールや両親の住まいをばらさないという暗黙の了解があるという。
「たとえば奥州市の人は、大谷選手と家族がどのレストランに行くか知っているわけです」と菅野は語る。
「でも、メディアには言いません。生まれ故郷で安心してほしいからです」
これは菅野にとって侵すことのできないルールだ。
彼は、「大谷選手の両親の住所をこっそり教えてくれないか」と尋ねてくるような記者は追い払う。
いつか市内に公認の大谷博物館を作りたいという夢もある。しかし、たとえ本人の了承を得るために両親のつてを頼れたとしても、そうした手段は使いたくないと思っている。
「奥州市民として、純粋な形で彼をサポートしたいんです」