「わかりやすさ」が生きる場面がある

そういった年代が違うさまざまな人が集まる場の雰囲気をよくしようとする時、「年齢」などの極端にシンプルで分かりやすい項目を使うのも効果的なんだなと思いました。

昔、テレビ番組で私の漫画の再現ドラマが流れたことがありました。作成している時期、ディレクターの人から渡された台本を見ると、私が漫画で描いた主旨とは違う点が強調されていたので指摘しました。するとこう返されました。

「テレビはどんな人にでもパッと分かる内容にしないとならない。工事現場で働いてきたおじさんが、ビールと弁当を買って帰って家でテレビをつける。そのおじさんが一瞬で『今この番組で何をやっているか』を把握できないといけないんです」

確かに、漫画や本だと一冊通してじっくり説明することができますが、テレビだと作り方が違う。私が漫画で描いたのは「精神的に自立することで夫と対等な関係になろう」というメンタルトレーニングの内容だったけど、再現ドラマでは「夫に支えられて自立できた私」という夫婦愛ストーリーになっていました。たしかに後者のほうがテレビでは分かりやすいだろうな、と最後は納得したのでした。

年齢自虐も、同じようにその場にいる人たちが「なんの話をしているか」がパッと明確に分かるコミュニケーションと言っていいのではないでしょうか。

今までの私は、このことに気付きませんでした。

レスポンスは「愛」

そして中年になって思うのは「自分が何かしたときに、相手が返答・反応・リアクションしてくれること」という地味な行動こそ、人々をつなげて日々の活力を湧き上がらせているんだなっていうことです。

当たり前のようにしている挨拶や、お天気についての世間話、軽い会釈。グループメールでどうでもいいことを言ったときに誰かがつけてくれるニコニコマーク。なくても成立はするけど、あると心が通ってハートがあたたかくなる。大げさに言えば、お互いに「私はここにいていいんですね」「あなたももちろんそこにいてくださいね」というメッセージの交換。つまり愛。レスポンスは愛なのです。