体内年齢は41歳

スポーツの秋、体育の授業中、学生生活の存続を危うくする下手を打ってしまいました。

当方は大学時代に体育の単位を修得していたので出席は不要でした。しかし、週に1回は飛び跳ねないと体がなまっちまいます。ある懸案から女子学生を守る役目も自らに課し、欠かさず出ることにしました。

幼稚園児の時分から剣道や柔道、野球をやってまいりました。新聞記者時代は会社の野球部監督兼主戦投手を務め、50歳代半ばまでグラウンドを駆け回っていました。

運動にはいささか自信がござる。

はるか年下の若い衆に負けてはいられません。でも中学や高校でバレーボールやバドミントンに本腰入れて取り組んだ同級生にはかないません。バレーボール元日本代表選手と同姓同名の女子学生もいらっしゃる。男子に交ってサッカー部で活躍した女子学生もいます。

鬼ごっこの激走に屈して床にへたり込み、負け犬のように舌を出してぜいぜい喘いでいました。すると同級生が顔を覗き込んで「大丈夫ですか」と心配してくださる。

「腰が悪いのだから無理はなさらぬように」と常にブレーキをかけてくださる学生もたくさんいました。

せめてものお返しです。バレーボールのコートを設える際、重さ20キロ前後の支柱の運搬はお任せあれ。肩にひょいと担ぎ、バランス保って運ぶ術は学生時代のアルバイトで習得しております。

試合中にミスした人には「どんまいどんまい」、新聞社時代のように「くぉら」と叱責など決していたしません。運動が不得手な学生には「失敗したって構いません。なんぼでもフォローします」と穏やかにプレー参加を促しました。

その日は体力測定でした。本番前の簡易チェックで体内年齢41歳との結果を得ました。当時63歳、なんと22歳も若いのか。

19歳の男子学生に聞くと「60歳です」。

まさかの負傷と松葉杖

調子に乗りました。

立ち幅跳びで、ある女子学生の距離に及ばない。負けてはならじと数回繰り返しました。直後に左の太もも裏に鋭い痛みが走りました。

しまった、またやっちまったか。

記者時代、野球の試合中に過去2回、ふくらはぎの筋断裂を経験しました。半年間の松葉杖暮らしを余儀なくされました。

実は少し前、雨に濡れた舗道上で滑って転び、得意な柔道の受け身も及ばず左半身を痛めていました。

緒方健二『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス) 
緒方健二『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス) 

体力測定の翌朝、激痛で起き上がることができません。無遅刻無欠席を途切れさせてなるものか。

タクシーで登校したものの、痛くて痛くて歩けません。

異状に気付いた男子学生が車いすを手配してくれたり、近くの外科医院へ連れて行ってくれたりしました。

すまねえ、恩に着るぜ。

左の太ももやふくらはぎの筋肉が複数個所で切れていました。自然にくっつくのを待つほかはないとの診断です。以来、短大の保健室で借りた木製松葉杖に頼る日が3カ月ほど続きました。

野獣諸法度「決して目立たず」潰えたり。

緒方 健二(おがた・けんじ)
元朝日新聞編集委員

1958年大分県生まれ。同志社大学文学部卒業、1982年毎日新聞社入社。1988年朝日新聞社入社。西部本社社会部で福岡県警捜査2課(贈収賄、詐欺)・捜査4課(暴力団)担当、東京本社社会部で警視庁警備・公安(過激派、右翼、外事事件、テロ)担当、捜査1課(殺人、誘拐、ハイジャック、立てこもりなど)担当。捜査1課担当時代に地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件、警察庁長官銃撃事件を取材。国税担当の後、警視庁サブキャップ、キャップ(社会部次長)5年、事件担当デスク、警察・事件担当編集委員10年、前橋総局長、組織暴力専門記者。2021年朝日新聞社退社。2022年4月短期大学保育学科入学、2024年3月卒業。保育士資格、幼稚園教諭免許、こども音楽療育士資格を取得。得意な手遊び歌は「はじまるよ」、好きな童謡は「蛙の夜まわり」、「あめふりくまのこ」。愛唱する子守歌は「浪曲子守唄」。朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、取材と執筆、講演活動を続けている。「子どもの最善の利益」実現のために何ができるかを模索中。