40年にわたり、殺人事件、暴力団、テロなどを取材する「事件記者」だった緒方健二さんは、2021年に62歳で新聞社を退職し、63歳で短期大学の保育学科に入学した。生粋の事件記者は、なぜ保育や幼児教育に関心を持ち短大に入ったのか。ライターの辻村洋子さんが取材した――。
2024年春に保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した緒方健二さん
写真=岡村隆広
2024年春に保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した緒方健二さん

事件記者、短大の保育学科へ

ダークスーツに身を固め、肩で風を切るようにして歩く。ゴマ塩頭に深く刻まれた眉間のシワ、低く落ち着いた話し声にときおり混じるべらんめえ調。緒方健二さんに会えば、多くの人は近寄りがたい印象を持つだろう。最近、保育士資格をとったばかりだと知るまでは。

62歳のとき、40年近く勤めた新聞社を退職した。現役時代は事件記者として鳴らし、地下鉄サリン事件や警察庁長官銃撃事件など数々の凶悪事件を取材。殺人、強盗、ハイジャック、誘拐――。緒方さんは「犯罪の海に溺れるような日々だった」と振り返る。

「中には子どもが被害者の事件も多々ありました。でも、再発防止のためにと懸命に取材して報じても、次々と似たような事件が起こる。自分がやっていることはまったく役に立っていないのではないか、そんな疑問が常にありました」

新聞記者になって2年目には、高校の教室で生徒が、同級生を狙って猟銃を発砲した事件があった。狙われた方の生徒が、学校から退学を求められたことを知り、憤りを感じるとともに、教育現場への不信感が生まれた。

警視庁キャップを務めていた1999年には、東京で2歳の女児が、母親の知人だった女性に殺された。この女性が、もっと早くに専門家に悩みを相談していれば、事件は防げたのではないかと思った。

2001年には、大阪府池田市の小学校に包丁を持った男が侵入し、児童8人を殺して児童と教諭計15人にけがを負わせる事件が起きた。文部科学省は不審者侵入時のマニュアルを作ったが、その後も学校への不審者侵入事件は続いている。

加害者だけでなく、子どもや親に対する支援の薄さにも怒りを感じた。こうして芽生えた「子どもを守りたい」という思いは、退職後ますます強くなったという。