事件記者、短大の保育学科へ
ダークスーツに身を固め、肩で風を切るようにして歩く。ゴマ塩頭に深く刻まれた眉間のシワ、低く落ち着いた話し声にときおり混じるべらんめえ調。緒方健二さんに会えば、多くの人は近寄りがたい印象を持つだろう。最近、保育士資格をとったばかりだと知るまでは。
62歳のとき、40年近く勤めた新聞社を退職した。現役時代は事件記者として鳴らし、地下鉄サリン事件や警察庁長官銃撃事件など数々の凶悪事件を取材。殺人、強盗、ハイジャック、誘拐――。緒方さんは「犯罪の海に溺れるような日々だった」と振り返る。
「中には子どもが被害者の事件も多々ありました。でも、再発防止のためにと懸命に取材して報じても、次々と似たような事件が起こる。自分がやっていることはまったく役に立っていないのではないか、そんな疑問が常にありました」
新聞記者になって2年目には、高校の教室で生徒が、同級生を狙って猟銃を発砲した事件があった。狙われた方の生徒が、学校から退学を求められたことを知り、憤りを感じるとともに、教育現場への不信感が生まれた。
警視庁キャップを務めていた1999年には、東京で2歳の女児が、母親の知人だった女性に殺された。この女性が、もっと早くに専門家に悩みを相談していれば、事件は防げたのではないかと思った。
2001年には、大阪府池田市の小学校に包丁を持った男が侵入し、児童8人を殺して児童と教諭計15人にけがを負わせる事件が起きた。文部科学省は不審者侵入時のマニュアルを作ったが、その後も学校への不審者侵入事件は続いている。
加害者だけでなく、子どもや親に対する支援の薄さにも怒りを感じた。こうして芽生えた「子どもを守りたい」という思いは、退職後ますます強くなったという。
息子の育児は妻に丸投げしてきた
しかし、自身は子どもについてほとんど何も知らない。
息子の育児は仕事にかこつけて妻に丸投げしてきたし、発達過程や制度・法律に関する知識も薄い。「子どもを守るなどと大言壮語する前に、虚心に基礎知識や専門知識を頭に叩き込まなくては」。そう考え、短大の保育学科を目指そうと思い立った。
保育学科なら求める知識を体系的に学ぶことができ、保育士資格や幼稚園教諭免許もとれる。その上で「子どもを守る」につながる発信活動をすれば、説得力が増すはずだと考えた。もちろん、実際に保育所や幼稚園で働くことも視野に入れていたという。
「ただ、そもそもこんな還暦過ぎの半端者野郎が保育学科に入れるのかと思いまして、何校かに電話してお尋ねしたんです。『60過ぎの男子ですけれども、受験並びに入学は可能ですか』と。その中で、何歳であろうとどうぞと言ってくださった短大を受けようと決めました」
退職から数カ月後、緒方さんは妻におずおずと「短大の保育学科に入ろうと思う」と切り出した。そのときの妻の反応を、緒方さんは「あくまでも意訳ですよ」と断りを入れた上でこう表現してくれた。
「仕事を口実に家のことを一切せず育児も放棄、そんな人が何を今さら他人様の大切なお子さまを守りたいなどと言うのか」
とはいえ、妻はのちに心強い味方となる。実習時には朝早く起きて弁当を作ってくれ、与えられた課題に四苦八苦する緒方さんを見かねてピアノや裁縫を指導。童謡や手遊び歌を覚えられず困っていたときは、車の中でそれらのCDをかけてくれたという。
同級生の多くは18歳の女性
63歳の春、晴れて東筑紫短期大学保育学科に入学。同級生の多くは18歳で、約90人のうち男性は緒方さんを含め7人だけだった。入学式では、新入生の席に着席したとたんざわめきが走り、いぶかしげな視線を一身に浴びた。
ただ、そんなことは緒方さんにとっては想定内。仕事がら多くの世代と接してきたため、10〜20代の若者に交じって学ぶことにも不安はなかった。ただひとつ心配だったのは、自分ではなくまわりの学生の方がカルチャーショックを受けるだろうということ。
「ご覧の通り、こんな風体ですからね。だから皆さんの楽しい学生生活を邪魔してはいけない、そのためにどうすべきかを考えて行動しようと思い定めました」
常に「怪しい者ではございません」「困ったことがあれば私がお助けします」という姿勢を見せるよう心がけ、女子学生に対しては苗字にさん付けで呼び、話し言葉はですます調を貫いた。
ここでは自分は完全なるアウトサイダー。それを十分に自覚した上での、緒方さんなりの方策だった。
同級生たちに試験対策に役立ててもらおうと、自家版「傾向と対策」を作ったこともある。試験範囲を「全部」と言う教員を理詰めで追求し、その攻防から得られた情報を基に想定問題を作成。参考情報として、独自取材でつかんだ担当教員の個性やクセも書き加えた。皆からは大いに感謝され、中には手の回らなかった部分を作ってくれる学生も現れた。
「緒方さん、虫にさわれますか」
これで「頼れる人」という印象が浸透したのかもしれない。あるときには、女子学生が「緒方さん、虫にさわれますか」と尋ねてきた。聞けば女子更衣室にゴキブリが出て困っているとのこと。女子更衣室に入ることにためらいを感じたものの、その女子学生の先導を得て足を踏み入れ、手早くゴキブリを駆除してみせた。
「そんなこんながあって、皆さん段々と『こいつは危害を加えるビースト(野獣)ではないな』と思い始めてくれたようです」
最初は遠かった同級生たちとの距離は、日が経つにつれて縮まった。女子学生から「お友達になってください」と言われたり、男子学生から「女子の間でカワイイって言われていますよ」と聞かされたりもした。
おじさんに対する女子の「カワイイ」は最上級の親しみの表れと言えそうだが、そこでニヤけたりせず逆に気を引き締め直すのが緒方流。男子学生に対し、「根拠希薄な噂話を軽々しく口にするな。第一、そんなことで舞い上がるほどこちとらヤワじゃねえぞ」と釘を刺した。
「事件取材の鬼」ぶりを発揮した学生生活
かつては「事件取材の鬼」と呼ばれた。だが、同級生たちは当初、緒方さんの経歴をまったく知らなかったという。
ただ、教員の中には知っている人もいて、児童虐待などの講義中に職歴を紹介され意見を求められることがたびたびあった。緒方さんは「それで私の“ヤクザな来歴”が知れ渡ってしまった」と話す。
以降は学級新聞の編集長を頼まれるなど、キャリアを生かして活躍することもしばしば。長年の記者生活で身につけた心構えも、勉強はもちろん教員や同級生と接する上で大いに生きた。
相手の話をじっくり聞くこと。相手の言葉が理不尽だと感じたら丁寧に真意を聞きただすこと。見たこと聞いたことすべてをノートに書きとめ、後で「言った」「言わない」の水掛け論にならないようにすること。熟練の記者だった学生を前にして、教員もさぞ気が引き締まっただろうと思う。
「先生より緒方さんから学んだことの方が多かった」
同級生からプライベートな相談を持ちかけられるようにもなり、知識はもちろん学友との交流も深めることができた2年間。卒業式の前日、同級生たちからもらったメッセージ集は今も大切な宝物だ。
「何に対しても一生懸命、私たち一人ひとりの気持ちを受け止めてくれる、子どもの命を何よりも重んじる。こんなに尊敬できる方に出会えたのは初めてです」
「先生より緒方さんから学んだことの方が圧倒的に多かったです」
「いっぱい助けてくれてありがとうございました。2年間一緒に過ごせて幸せです。また絶対会いましょう。約束です」
感謝と親しみのこもった言葉からは、緒方さんと同級生たちとの間に確かなきずなが生まれたことがうかがえる。
「『きずなができた』なんて言うと、それはもう同級生の皆さんに失礼になりますけども、少なくとも『さっさと離ればなれになれてよかった』という言葉は耳に届いていませんので、そこはよかったなと(笑)。とにかく慈愛に満ちたお言葉ばかりで、胸が熱くなりました」
勉強や実習を進めるうち、記者と保育士との共通点にも気づいた。
どちらも子どもを守るべき存在であり、同時に児童虐待の防止などを通して社会をよりよくする任務も背負っている。そこに気づき、自分はひと続きの道を歩んでいるのだと確信できたのも大きな収穫だった。
今の若者も捨てたものではない
学生生活で特に印象に残っていることが2つある。ひとつは、共に学んだ若者たちの姿だ。多くの可能性を秘めていて、まだ18〜20歳前後にもかかわらずしっかりと自分の目標を持っている。そして、それを実現するためにこうするんだという考えに揺るぎがない。
「今の選挙権年齢は満18歳以上。この人たちが選挙に行って自分の意見を主張していくんだと思うと、日本の腐った政治もちょっとはよくなっていくんじゃないか、そんな可能性すら感じました」
もうひとつはピアノだ。
保育学科の卒業にはピアノ関連の単位取得が不可欠だが、緒方さんはまったくの未経験者。愛煙するセブンスター60個分の身銭を切って電子ピアノを購入し、「おかたづけ」や「ミッキーマウス・マーチ」など、全64曲にもおよぶ課題曲を必死で練習したという。
途中、何度も心が折れかけたそうで、緒方さんは「いやぁピアノってほんと難しいですね」と苦笑いしながら振り返った。
迫力満点の「かたつむり」
現在は、朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、子どもや子育てにまつわる社会課題について取材や発信を続けている。そこでは、近いうちにピアノと歌も披露する予定だ。
「そこに向けて、今『かたつむり』を練習中なんです。で〜んでんむ〜しむしか〜たつむりぃ〜……」
童謡なのにドスのきいた歌声。そしてこぶしが回っている。
コワモテな風貌とユーモラスな言動とのギャップは緒方さんの魅力のひとつだが、それ以上に魅力的に映ったのは、豊富な経験や実績を一切鼻にかけない謙虚な姿勢だ。だからこそ若い同級生たちにも親しまれたのだろうと思う。
子どもを守りたいという目標に向かって、「だからこうするんだ」と揺るぎなく突き進む。緒方さんが語った同級生たちへの印象は、そのまま本人にも当てはまる。
目指す保育士資格を手に入れて、お次はどちらへ歩き出そうか──。まだ道半ば、緒方さんの歩みはこれからも続く。