ほぼ唐突にスウェーデンに向かった

小さな頃から少しずつ蓄積していた「自由を求める」心が、とうとう彼女の中で弾けたのかもしれない。22歳のときだった。

なぜスウェーデンなのか。

実は、15歳の頃から文通をしている相手がいた。昔は雑誌の中に文通相手を探す投稿欄があり、美知子さんはそこで1人のスウェーデン人男性と知り合い、文通を続けていた。英語はそのやり取りの中で、ある程度鍛えられたという。

その人を頼り、ほとんど唐突にスウェーデンに向かったのだ。実家からは勘当を言い渡された。

両親のことを思い出しては胸を痛め続けたが、ストックホルムで暮らし始めて間もなく、自分の育ってきた環境にはない、スウェーデンの自由な空気に魅了された。個人の意思を尊重し、それを政府や国が守ってくれることに驚いた(スウェーデンは、すべての体罰を禁止する法律が1979年に世界で初めて国会で承認された国である)。

文通相手の男性との交流は短い期間で終わりを迎えたものの、美知子さんは大好きになったスウェーデンにとどまることを決める。ようやく、自分の人生で自分の意思を貫くことを決めた瞬間だった。

自分の長所は手をつかってコツコツ作れること

スウェーデンに来て半年間は、語学学校に通っていた。その年の12月に、知り合いから貴金属店で彫刻加工をする仕事を紹介され、見習いとして基礎技術を学びながら働くことにした。

それも、和裁の学校を選んだ時と同じ観点だ。

「特にジュエリーに興味があったわけでも、手彫りがしたかったわけでもなかったんです。普通の仕事をしても、まだ英語もスウェーデン語もままならない自分は、スタートの時点で他の人と同じ土俵では勝負できないでしょう。自分の長所は、トップを目指して懸命に努力することができること。そして、手を使ってコツコツと作り続けることができることだから、そこで勝負すれば、もしかしたらトップになれるかもしれないと思ったんです」

スウェーデンに来て2年が経つ頃、のちにパートナーとなるスウェーデン人男性と出会う。「わりかし無口なんだけどユーモアがあって、お互い笑いのツボが合う人」だった。

ほどなくして2人は同棲を開始し、さらに2年後には日本の両親にも紹介して結婚に至った。

そのころ勘当状態だったのでは? と尋ねると、実は母親とだけは秘密で連絡を取り合っていたそうだ。そのせいか、挨拶に行く頃には実家とのわだかまりはほとんどなくなっていたという。スウェーデンで働き始めて数年後から、美知子さんは実家に毎月仕送りをした。それは母親が亡くなるまで、一度も欠かさなかった。