ストックホルムの街並みになじむアジア人女性

一緒に店を訪ねた日の前日、私たちは郊外にある、ストックホルムの街を見渡せる公園「Ivar Lo's park(イヴァル・ローズ・パーク。Ivar Loは芸術家の名前)」でインタビューをすることになった。

現れた美知子さんは、とても明るい笑顔で「こんにちは〜!」と手を振りながら近づいてきた。

スウェーデンの8月下旬は暑くも寒くもない、とても過ごしやすい気候だ。シンプルなグレージュのトップスに白いパンツ。明るいキャメル色の革のショルダーバッグにはグリーンを基調としたレオパード柄のストラップが付いていて、コーディネートのアクセントになっていた。

上品な赤のスカーフを髪全体に巻き、その上に白い中折れ帽を被っている。耳と指にはパールやシルバーのアクセサリーを合わせている。

その姿はとても洗練されていて、ストックホルムの都会の風景にとても馴染んでいた。

彼女が異国の地で、女性かつアジア人であるにもかかわらず、職人としてここまでの地位を築き上げるようになるまで、どんな道をたどってきたのだろうか。

ストックホルムの街を見渡せる、知る人ぞ知る穴場のスポット、イヴァル・ローズ・パークで美知子さんのインタビューを行った。
筆者提供
ストックホルムの街を見渡せる、知る人ぞ知る穴場のスポット、イヴァル・ローズ・パークで美知子さんのインタビューを行った。

子どもは「家の手伝いをする者」

美知子さんは、1951年茨城県高萩市生まれで、現在73歳。旧姓は「鈴木」という。幼少期の頃、高萩市は炭鉱業が盛んでとても賑わっていた。実家は駅から徒歩3分ほどの街のど真ん中で、食料品店を営んでいた。

主な取扱商品は、缶詰・味噌・醤油・砂糖・佃煮・干物の乾物やお菓子など。幼い美知子さんは忙しい両親を毎日手伝っていた。起きてすぐに掃き掃除と拭き掃除、学校から帰ってきたら自転車で配達をした。おさんどん(台所仕事)、薪割り、お風呂を洗って沸かすなど、遊ぶ間もなく手を動かした。

父親は厳格で寡黙、しつけもとにかく厳しかった。ときどき口を開けば「失敬千万!」などといった四字熟語を使い、笑っているところを見た記憶がない。典型的な「男子厨房に入るべからず」という人だったため、家事をしているところも見たことがない。

母親は東京・下町で手広く商売を営んでいる名家の出。とても働き者で、その姿を見て育った美知子さんは「少しでも母親の助けになりたい」と思うようになった。

このころ夢中になったことや、やりたいことはありましたか、ときいてみた。

「そういう感覚を持った覚えはないね。当時、とにかく子どもとは『家の手伝いをする者』であって、そこに自由な意思を持つなどということは考えられなかった。それは別に私だけじゃなく、みんなそうだったと思います」

しかし美知子さんの心の中には少しずつ「自由への憧れ」が蓄積されていった。小学校の頃は、どこかいつも自分はつまらない人間だと思っていた。子どもの数がとても多い時代だったため「勉強を頑張って、この競争を勝ち抜かなくてはいい学校には行けないんだ」と幼心に悟り、小学校4〜5年生の頃から勉学に励むようになった。でも、それも自分の意思というよりは、時代や環境からの影響が大きい。