頑張れば競争に勝ち抜けそうなものは何か

中学・高校時代も心では自由を求めてはいるけれど、何をしたらいいのかはわからなかった。高校のときの得意科目は数学と物理と英語。憧れの女性の先生が津田塾大学出身だったため「津田塾大学の英文科に行きたい」という気持ちがあったが、炭鉱の町は徐々に不景気になっていき、大学進学はお金がかかるだろうからという理由で早々に諦めたという。

では、卒業後何をするか。彼女は「誰もやらなそうなことで、頑張れば競争に勝ち抜けそうなものは何か」を探し、和裁の学校に進学することを決める。和裁に興味があったんですかと聞くと「いや、別に興味はなかったわね」。

当時、和装は冠婚葬祭などの特別な時にしか着ないものとして人気も衰えていた。だから、あえてその道へ進もうとする人は少なかった。

「とにかく一番、というものが好きなんですよね。たとえそれが全然人気のない職業であろうと。『他の人がやっていない』というのが一番の理由」というから、驚きだ。

和裁に進む道を捨て、実家に帰る

高校卒業後は、築地にあった和裁の専門学校に進学した。1年目は大森の親戚の家に身を寄せていたが、2年目からは西船橋の4畳半のアパートで友人と2人で下宿しながら、計3年かけて普通科から師範科までを学んだ。最終的に、卒業時に選出される「優秀生徒」ふたりのうちのひとりに選ばれるほどの技術を身につけた。

その腕を活かし、卒業後は知り合いのツテをたどって新橋の売れっ子の芸者さんの着物を縫う仕事に就く予定だった。

しかし、美知子さんは突然その進路を断念し、実家に帰ることとなる。

理由は「家業を手伝うため」。

両親から帰ることを強く言われたわけではない。

「子どもの頃の環境や習慣からの影響というものは大きくて。親との会話の中で察するものがあって『帰って家業を手伝う。それが子どもの役目だ』と感じたことがあったんです」。そのときもやはり「自分の意思を通したい」とか「反抗したい」というような発想は浮かばなかったという。ところが、さらにその1年後、美知子さんはスウェーデンにいた。