「本格中華」の経験だけではつくれない味

何人かの料理人を雇うことになったが、斉さんはその人選にこだわった。斉さんが譲らなかったのは、週に2、3日入れる人ではなく、営業日すべてに入れる人でなければ採用しないということだった。当時すでに、他店とかけもちで仕事をする料理人が多くなっていたが、斉さんはかけもちを許容できなかった。

【斉】私に世の中の流れを読む力がなかったのかもしれませんが、とにかくツーカーで仕事ができる、打てば響くような仕事をしたかったの。その点だけは、結構頑固にやっていました。だから、年じゅう人がやめてしまったりで、人の苦労は絶えませんでしたね。

もうひとつ、人の面で苦労したことがあると斉さんは言う。それは「本格中華」を学んできた料理人の存在だ。

【斉】一時期、きちんと中国料理の経験を積んできた人を料理長のような待遇で雇ったことがあるんです。そうしたら、「このやり方は本当はこうなんだ」「このやり方は間違ってる」なんてことを散々言われて、とても悩んでしまったことがあるの。やはり、ど素人から始めた私と、きちんと経験を積んできた人ではぜんぜん違ったんでしょうね。そうしたらある日、店の外から「ふーみんは味が変わってしまった」という声が聞こえてきたんです。そういうことがあって、むしろ、自分の味は自分の味でいいんだと思うようになった面もありますね。

さらに斉さんは、厨房のスタッフに、「婚約者の両親に料理を出すような気持ちで、1皿1皿愛情をこめて作る」ことを求めた。しかし、それほどの思いを込めながら1日に400人もの客をさばくのは、斉さん自身にもとても難しいことだった。

【斉】よくいらっしゃるお客様で、ランチの時間帯に「お任せ」をオーダーなさる方がいたんです。ランチの注文がどんどん入るなか、そのお客様ひとりのためにランチ以外の料理を考えなくてはならないのは、もう……。恐怖心みたいなものすら感じました。

2016年、70歳を機に、斉さんは「ふーみん」の経営を甥の瀧澤一喜に託して、勇退することを決意する。瀧澤は料理ができないが、料理長の白井次男はそれこそツーカーの存在。斉さんが作り上げたオリジナルのメニューを完璧に再現することができた。だから、ふーみんの味は現在も変わることなく、骨董通りの人々に愛され続けている。

それにしても、ランチに大行列のできる人気店を去るのは寂しくなかっただろうか。

【斉】原点に帰りたかったんです。