こうでなければならないという縛りがない

9月某日、南青山骨董通りにある「ふーみん」を目指した。ランチのラストオーダーは3時。2時に地下鉄を降りたから余裕で着くだろうと思っていたら、なんと降りる駅を間違えてしまった。表参道で降りるべきだったのに、青山一丁目で降りてしまったことに歩き出してから気がついた。

青山一丁目駅から骨董通りにたどり着くには、広大な青山霊園を横断する必要がある。猛烈な残暑の中、汗だくになりながら青山の街を歩いていると、思わぬところでこぢんまりとしたブティックやアート・ギャラリーに遭遇した。

ようやく小原流会館にたどり着いたのが、ラストオーダー直前の2時50分。目当ての「豚肉の梅干し煮定食」はすでに完売しており、仕方なく第2候補の「茄子のニンニク炒め」を単品で注文する。

運ばれてきたのは、一見、なんの変哲もない炒め物だ。大ぶりの乱切りにした茄子に、丸のままのニンニクがゴロゴロ入っている。味は甘辛く、純然たる中国料理というよりは和風にアレンジした中華といったところだろうか。ギリギリ3時に間に合ったという安堵感も手伝ってか、たしかに「ほっとする味」である。

しかし、食べ進むうちに、この一皿には比類のない革新性が込められていることに、うっすらと気がついてきた。味はまろやかだし、珍しい食材や調味料を使っているわけでもないが、少なくとも筆者はこんな中国料理をこれまで一度も食べたことがなかった。丸のままのニンニクは形が崩れる寸前の柔らかさで、口に含んだだけでとろけてしまう。

奇を衒った創作料理ではなく、平凡に見えるけれど、実は強烈に独創的なのだ。

ようやく謎が解けた気がした。

ふーみんの料理には、中国料理はこうでなければならないという縛りがない。自由なのだ。客は斉さんの料理を通して自由を堪能し、心を解き放たれる。おそらくそれが、「ほっとする」の正体である。

1970年代初頭、キラー通りに集っていた若きクリエイターたちがふーみんの料理を愛したのも、斉さんの料理に自分たちと同じ革新性を感じ取ったからだろう。

帰路、思い思いのファッションに身を包んだ人々が闊歩する骨董通りを歩きながら、そうか、「斉」は斉さんのギャラリーなんだ、料理は彼女の作品なんだ、斉さんは80歳を目前にして新しい作品を創造し続けているんだ、などとひとりで合点していたら、なぜか生きる意欲がふつふつと湧いてくるのを感じた。自分も何か新しいことがやりたいと……。

斉さんの料理には、そんな力がある。

山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター

1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。