弁護人は父の「畜生道に陥った荒れ狂う男の行動原理」を批判

「野獣」「畜生道」という激しい言葉に目が止まる。「人倫の大本・人類普遍の道徳原理」という200条の合憲判決で使われた言葉を逆手にとっている。最後の「憲法とは何んと無力なものでありましょうか」は、聞く者が思わず肯かざるを得ない嘆きがある。これが憲法訴訟で初めて法令違憲を勝ち取り、ひとりの女性を救った言葉である。日本裁判史上、憲法学で特筆されるべきと思う。

裁判は実際でもドラマでも大法廷で行われている。最高裁判事は15人いて通常は5人ずつの小法廷で審議が行われるが、とくに重要な事件、判例変更に含みを残すものについては15人全員が揃う大法廷で行われる。厳粛なその空間のなかで「畜生道」という言葉がどのように響いたのか、最高裁判事たちはどのように聞いたのか。弁論はキャラクター的にやはりよねが行うのだろうか。「虎に翼」の法廷劇、最後のヤマ場である。

実際の裁判では、1973(昭和48)年4月4日、最高裁は判例を変更して、刑法200条は憲法14条に違反して無効、と判決した。そして刑法199条のもと情状を酌量して懲役2年6月、執行猶予3年の刑をくだした。おそらくドラマでもそう進むだろう。

刑法200条を残したのは「家制度」を守りたかった人たちか

最後に現実に起きた「その後」について記したい。

判決後、まず、大貫弁護士はAとの関係を断った。Aは大貫弁護士を慕い毎年年賀状を送っていたが、こういって止めさせた。

「もうそういうことはやめなさい。いつまでも私に年賀状を送ると、あなたも辛い事件のことをいつまでも覚えていることになる。私ごと忘れてしまいなさい」

しびれる。

違憲判決が救ったのはAだけではなかった。判決が出るや、現在進行形で裁判をしていた検察官の起訴状から刑法200条が消え、同条で服役している人たちに恩赦が施された。

刑法200条は違憲無効となったのちも、六法からしばらく削除されず、使われない条文として残った。「家制度」の残滓を守りたい人たちがそれほどいた、ということだろう。六法から同200条が削除されるのは、なんと1995(平成7)年の刑法改正においてだった。それまで同200条は亡霊のように六法のなかにたたずんでいたのである。これでようやく、六法から「家制度」の残滓は全て一掃された……かな? はて?

神田 憲行(かんだ・のりゆき)
ノンフィクションライター

1963年、大阪市生まれ。関西大学法学部卒業。師匠はジャーナリストの故・黒田清氏。昭和からフリーライターの仕事を始めて現在に至る。共著に『横浜vs.PL学園』(朝日新聞出版社)、主な著書に『ハノイの純情、サイゴンの夢』(講談社)、『「謎」の進学校 麻布の教え』(集英社)、『一門』(朝日新聞出版社)など。