裁判官の寅子(伊藤沙莉)が法で人を裁くことの難しさに直面するドラマ「虎に翼」(NHK)。ノンフィクションライターの神田憲行さんは「放送最終月で、ある女性が実の父親に性虐待され5人の子を産まされ、結婚に反対されて家に閉じ込められた末に襲ってきた父親を殺した55年前の事件を出してきたので驚いた。実際に事件を担当した大貫弁護士に取材したことがあるが、大貫氏は法制史に残る判決を勝ち取った」という――。

「虎に翼」の最後で「尊属殺重罰規定違憲判決」が描かれる驚き

まさかこの大詰めに来て、「尊属殺重罰規定違憲判決」をぶっ込んでくるとは。

「虎に翼」が残り3週になったところに、父親を殺したという美位子(石橋菜津美)という女性が登場し、いきなりデカいネタを放り込んできたことに驚いた。どうやら制作陣は戦後の法制史において、重要なポイントは全部触っていくつもりらしい。

もともと原案ともいえる清永聡さんの『家庭裁判所物語』を出版後すぐ手に取り、感銘を受けていた。それが朝ドラ「虎に翼」に。毎日欠かさず、多いときは1日朝昼2回、このドラマを堪能している。ドラマへの評価は観ている人によって違うだろうが、私は戦後日本の国造りに懸けた人々の物語として楽しんでいる。と考えると、「尊属殺事件」に触れるのはむしろ当然かもしれない。ただ最終週まで引っぱるとはまた驚きではあるが。

私は戦後日本に憲法が果たした役割を考えるために、重大事件の現場を訪ね歩いた取材経験がある。「尊属殺事件」も担当弁護士にインタビューし、現地を訪れて、事件当時の記憶を止める人に証言をもらった。そこで僭越だが、「尊属殺事件」とはどういう事件だったのか、ドラマと実際の異同、私なりに考える最終週の見どころを書いていきたい。

昭和43年に起こった「性虐待された娘が父親を殺した」事件

「虎に翼」では事件は東京都内で発生したことになっているが、実際は栃木県某市で起きている。ドラマでは事件の一報を知らせる小さな新聞記事の映像が一瞬映っているが、あれは固有名詞をのぞいて実際の朝日新聞地域版の記事の文章をなぞっている。記事は新聞の縮刷版には掲載されていないので、私は片道2時間近くをかけて地元図書館までいってコピーしたのだが、制作陣はどうしたのだろう。どっちにしろそのこだわりに気づく人は全国に10人もいないと思うので、せめて私からでも拍手を贈りたい。

栃木県宇都宮市
写真=iStock.com/taka4332
最初に尊属殺人事件の裁判が行われた栃木県宇都宮市(※写真はイメージです)

事件は1968(昭和43)年10月5日に起きた。

女性A(当時29歳)は14歳のころから実父のXより性的暴行を受けていて、5人の子どもまで産んでいた(ドラマでは2人)。そのうち2児は死亡し、3児は成長。実母はその事情に耐えられなくなり家を出ていた。

娘に産ませた子を「出て行くなら始末してやる」と脅した父親

殺害の直接のきっかけになったのは、娘のAに恋人ができたことである。Aは父親のXに家を出て結婚する希望を伝えると、Xは激怒してAをなじった。一審の判決文からそのときのさまを引用する。

《「俺は赤ん坊のときに親に捨てられ、十七歳のとき上京して苦労した。そんな苦労をして育てたのに、お前は十何年も俺をもてあそんできて、この売女」》
《「男と出ていくのなら出て行け、どこまでものろってやる」「ばいた女、出てくんなら出てけ、どこまでも追ってゆくからな、俺は頭にきているんだ、三人の子供位は始末してやる。おめえはどこまでものろい殺してやる」》

そしてXが飛びかかってきたのを逆に押し倒し、股引きのヒモで絞殺した。直系の父母、祖父母を殺害する「尊属殺人」である。

「私らはXさんとAさんはてっきり夫婦だと思ってたよ。事件が起きて親子だと知ってびっくりした」

私が見つけた当時の記憶を持つ人はそう語った。

「貧しかったから、近所の人がよく畑で取れた野菜をあげていた。Aさんもそのお返しで畑の草むしりとか手伝ってたよ。Aさんは体格がけっこう良くて、器量よしだった。ああいう悲惨な生活を送っていたとは思えなかったな」

尊属殺人罪の重罰規定は違憲無効との判断を示した最高裁大法廷=1973年4月4日
写真提供=共同通信社
尊属殺人罪の重罰規定は違憲無効との判断を示した最高裁大法廷=1973年4月4日

ドラマと同じように、娘は一見そう見えない明るい人

事件の悲惨さが明らかになるにつれ、地元ではAに同情が集まっていった。裁判所に証人として呼ばれた近所の人の中には、「Aさんが可哀想だ」と泣き崩れる人もいたという。

「それはみんな同情するよ、人を殺したのはいけないけれど、ああいう父親だし……」

ドラマでは実母が「家の中にある金目のもの」をかき集めて山田轟法律事務所に駆け込んでいるが、実際はリュックに詰めたじゃがいもの山だった。弁護士料をじゃがいもにすると、逆に劇的過ぎて避けたのかもしれない。

実際に弁護を担当したのは、大貫大八・正一弁護士の親子。のちに父親の大八さんが死去し、正一さんがひとりで担当した。

ちなみに大貫弁護士はAの印象について、

「暗いところがないんだよね。はっきり喋って、素直な女性という印象でした。あと記憶力が抜群に良かった」

と私の取材で語っている。ドラマでも美位子はとても殺人事件を起こしたとは思えない明るさで、これは実際に寄せているのかもしれない。

刑法200条は「親を殺すと無期懲役か死刑」になる重罰規定

弁護士方針の最大の焦点は、弁護士のよね(土居志央梨)がいうように「刑法200条を憲法14条違反で訴える」ことにある。

Aは普通殺人の刑法199条と、尊属殺人の同200条で訴えられている。200条の刑は「無期懲役または死刑」となっていた(199条では当時「死刑または無期懲役もしくは3年以上の懲役」)。200条で有罪となった場合、Aの立場に同情して刑を酌量減軽しても、執行猶予がつかない。そのまま刑務所送りである。

それは酷ではないか、というのがまず素朴な感情だろう。もちろん人を殺した罪は消えないが、子どもまでできてしまうほどの長い性的虐待を受けていた被害者の面もある。

そこで弁護側の方針は、刑法200条を憲法14条違反として無効にして、刑法199条のみによる判決を仰ぐ、ということだ。

【憲法14条1項】
《すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない》

山田轟事務所の壁に大書されている視聴者にお馴染みの文言である。14条は「平等原則」と呼ばれる。人の命はみな平等なのに、「普通殺」「尊属殺」で刑罰の重さを変えていることはその原則に反する、というのが弁護側の論理である。

尊属殺人規定は「法の下の平等」を宣言する憲法14条と矛盾

憲法違反とはどういうことか。

憲法は日本の最高法規であり、法律その他が憲法に違反する場合は効力を持たない(憲法第98条)。法律が憲法に違反しているかどうか、裁判所は審査する違憲立法審査権を有している(同81条)。弁護側が考えた理路はこうである。

父親を殺した美位子は、刑法199条、同200条で起訴されている→しかし同200条は憲法14条に違反し、無効である→無効になった法律で裁けないから、刑法199条のみでの判断になる→情状酌量による減軽で執行猶予付きの判決がでる。

そもそも刑法200条は日本国憲法下で存在しているのがおかしい法律だったと思う。旧憲法から基本的人権の尊重をうたう現在の憲法に変わったとき、民法が改正され、家父長制を前提とする「家制度」は廃止されている。ところがなぜか刑法200条は生き残ってしまった。

そればかりか、新憲法下で行われた1950(昭和25)年の最高裁判決で合憲判決が下されている。ドラマでも寅子の恩師である穂高重親判事(小林薫)が違憲論を主張したシーンがあった。

憲法訴訟とは、個人が国相手にいくさを仕掛けられる手段

大貫弁護士の手記に寄ればそれ以降、全国の地裁で年平均34件の合憲判決が積み上がっていたという。しかも当時、最高裁で違憲無効と判断された法律は一本もなかった。山田轟法律事務所はそのような状況の中での戦いなのである。壁に憲法14条を大書した事務所としての存在意義を懸けた挑戦だ。私は憲法訴訟とは、追い詰められた個人が国相手に大いくさを仕掛けられる唯一の手段であると思う。

一審判決が刑法200条は違憲無効、過剰防衛により刑の執行を免除する判決。二審の東京高裁では逆に刑法200条は合憲、懲役3年6月の実刑判決という逆転有罪の判決が出た。そして最高裁へ、という流れである。

岡田将生演じる航一のように、被告に心を寄せた調査官

第25週では、最高裁調査官である航一(岡田将生)が最高裁長官である桂場等一郎(松山ケンイチ)に尊属殺事件を受理するよう説得する。実際に調査官と長官の間でそのようなやりとりがあったのか私の取材ではわからない。だが、実際に被告(A)の境遇に心を寄せた調査官はいたようである。

「ふつうなら(調査官による)形式的に1回ぐらいしか聞き取りしないのに、何回か話を聞いてくれました。その聞き方も非常に親切でね、あ、これは(合憲から違憲へ)判例を変更するかもしれないと目の前が明るくなるような気持ちでした」(大貫弁護士)

最終週で私が見どころと楽しみにしているのが、最高裁大法廷における弁護人の弁論である。大貫弁護士が「何度も練習した」という実際の弁論をかいつまんで紹介する。

《被害者(=X)は十四歳になったばかりの純真な被告人(=Aさん)を(中略)暴力で犯したばかりか、爾来十五年も夫婦同様の生活を強いて被告人の人生をじゅうりんする野獣に等しい行為に及んでいるのであります。
(中略)又被害者の感情の中には、被告人に対して既に子としての愛情は片りんもなく、妻妾としての情感のみであったのであります。
(中略)ここに至っては被害者は父親としての倫理的地位から自らすべり落ち、畜生道に陥った荒れ狂う夫のそして男の行動原理に翻弄されているのであります。刑法二〇〇条の合憲論の基本的理由になっている『人倫の大本・人類普遍の道徳原理』に違反したのは一体誰でありましょうか。
(中略)かかる畜生道にも等しい父であっても、その子は子として服従を強いられるのが人類普遍の道徳原理なのでありましょうか。本件被告人の犯行に対し、刑法二〇〇条が適用されかつ右規定が憲法十四条に違反しないものであるとすれば、憲法とは何んと無力なものでありましょうか》

弁護人は父の「畜生道に陥った荒れ狂う男の行動原理」を批判

「野獣」「畜生道」という激しい言葉に目が止まる。「人倫の大本・人類普遍の道徳原理」という200条の合憲判決で使われた言葉を逆手にとっている。最後の「憲法とは何んと無力なものでありましょうか」は、聞く者が思わず肯かざるを得ない嘆きがある。これが憲法訴訟で初めて法令違憲を勝ち取り、ひとりの女性を救った言葉である。日本裁判史上、憲法学で特筆されるべきと思う。

裁判は実際でもドラマでも大法廷で行われている。最高裁判事は15人いて通常は5人ずつの小法廷で審議が行われるが、とくに重要な事件、判例変更に含みを残すものについては15人全員が揃う大法廷で行われる。厳粛なその空間のなかで「畜生道」という言葉がどのように響いたのか、最高裁判事たちはどのように聞いたのか。弁論はキャラクター的にやはりよねが行うのだろうか。「虎に翼」の法廷劇、最後のヤマ場である。

実際の裁判では、1973(昭和48)年4月4日、最高裁は判例を変更して、刑法200条は憲法14条に違反して無効、と判決した。そして刑法199条のもと情状を酌量して懲役2年6月、執行猶予3年の刑をくだした。おそらくドラマでもそう進むだろう。

刑法200条を残したのは「家制度」を守りたかった人たちか

最後に現実に起きた「その後」について記したい。

判決後、まず、大貫弁護士はAとの関係を断った。Aは大貫弁護士を慕い毎年年賀状を送っていたが、こういって止めさせた。

「もうそういうことはやめなさい。いつまでも私に年賀状を送ると、あなたも辛い事件のことをいつまでも覚えていることになる。私ごと忘れてしまいなさい」

しびれる。

違憲判決が救ったのはAだけではなかった。判決が出るや、現在進行形で裁判をしていた検察官の起訴状から刑法200条が消え、同条で服役している人たちに恩赦が施された。

刑法200条は違憲無効となったのちも、六法からしばらく削除されず、使われない条文として残った。「家制度」の残滓を守りたい人たちがそれほどいた、ということだろう。六法から同200条が削除されるのは、なんと1995(平成7)年の刑法改正においてだった。それまで同200条は亡霊のように六法のなかにたたずんでいたのである。これでようやく、六法から「家制度」の残滓は全て一掃された……かな? はて?