木村さんは116歳で亡くなるまで大病をしなかった

先ほど紹介した病気の期間について当てはめても、木村さんは人生の中で病気になった期間はほんの少しなのです。共同研究者の広瀬先生が、近所の診療所などに行って治療の記録などを探したのですが、ほとんど出てこない。ご家族も木村さんが病院に行った記憶がないといいます。80歳の時に白内障の手術を受け、103歳の時にめまいがして脳の検査を受けたけれど問題は見つからなかった。最後は114歳の時に右足の膝が痛くて病院に行ったが大したことはなかった。そのくらいしかなかったそうなのです。

木村さんは歩行機能に衰えがありましたが、このように、ほとんど病気にならずに生きてきました。ただ最晩年に心臓の病気が出て、心臓の石灰化が起こりました。これが起こると心筋梗塞になりやすいので、それで亡くなったのだろうと推測されています。このようなことですから、医療費、介護費ともにあまりかかっていません。同時に、とても幸福感が高かったのです。

PGCモラールスケールという質問票があります。そこでは「幸福度がどのくらい高いか」ということを測定します。「実測値」とあるラインが65歳〜70、80歳の平均ですが、木村さんの値はとても高いところにあったということがわかります。

木村さんは奥さん、息子さん、お孫さんが亡くなっていて、義理の娘さん、義理の孫娘さんと一緒に暮らしていました。家族と死別したことは残念に感じていましたが、明るい気持ちで毎日を送っていました。調査でお宅に伺うと、いつもご機嫌で出迎えてくれました。

長寿ゆえ妻や息子に先立たれたが、人生の満足度は高かった

最も印象に残った話を紹介しましょう。木村さんは若い時、『New National Readers』という英語の教科書を使って勉強していたと話しました。調べてみると1902年に発売されたそのようなタイトルの本があるということがわかりました。また、若い時に逓信学校で勉強し、非常に短い期間でモールス信号を覚えたということです。親戚の方からもお話を伺ったのですが、木村さんは昔から頭がよいことで有名だったそうです。

権藤恭之『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)
権藤恭之『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)

また、若かった時、朝鮮半島で仕事をしていた弟さんが体調を崩したので、現地に渡ってしばらく働いたことなども語ってくれました。そういう話をする時の木村さんはとても幸せそうで、人生に満足している様子がうかがえました。

別れ際には、「サンキュー・ベリー・マッチ」「ユー・アー・ベリー・カインドマン」と力強い声で見送ってくれました。その姿に長生きはいいものだと実感させてもらった記憶があります。

木村さんが幸せに暮らしていけたのは、自身の健康状態が良好だったことだけでなく、同居していた家族の存在があったからこそだと思います。近所の人も毎年季節になると鮎を持ってきてくださったそうで、それを丸ごと頭から食べるのが長生きの秘訣ではないかと冗談交じりにご家族が話されたことを覚えています。

権藤 恭之(ごんどう・やすゆき)
大阪大学大学院人間科学研究科教授

1965年神戸生まれ。専門は老年心理学。日本老年社会科学会(理事)。日本応用老年学会(常任理事)。2000年より慶應義塾大学と共同で東京都23区の百寿者、および全国の超百寿者を対象とした訪問面接調査を行っている。2010年からは東京都健康長寿医療センター研究所、慶應義塾大学医学部と共同で、高齢者の縦断調査SONIC を開始。