2050年には100歳以上の人が50万人を超えるという予測がある。高齢化社会の老いについて心理学的見地から研究する権藤恭之さんは「日本は長寿の人が多いにもかかわらず、『100歳まで長生きしたくない』と悲観して考える人が9割を占める。実際の100歳以上のシニアたちに対面したところ、たとえ体の自由が効かなくても、幸せな気持ちで生きている人がいることがわかった」という――。

※本稿は権藤恭之『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

人生100年時代、ポジティブなイメージが長寿の秘訣に

100歳の人たちの話を聞き、100年の人生をイメージすることは私たちが老いを理解するために非常に重要なことだと思います。

【図表1】令和5年度中に100歳になる人数(見込み)
出典=厚生労働省「百歳高齢者表彰の対象者は47,107人

なぜなら、「寝たきりになったり、人の世話になったりしたくないから、100歳までは生きたくない」というような長生きに対する否定的な見方は、将来的に国民の健康に悪影響を及ぼす可能性があるからです。「ステレオタイプ身体化理論」として知られる最近の加齢理論では、個人が持つ高齢期・高齢者に対するステレオタイプが、加齢プロセスに肯定的・否定的な影響を与えることが示されています。

たとえば、日本人を対象とした研究では、19年間同じ人たちを追跡したデータから、若い時に加齢に対してポジティブな態度を持っていた人たちは、ネガティブな態度を持っていた人たちと比較して4年長生きだったと報告しています。アメリカの研究ではその差はもっと開きます。

超高齢期の人たちに対するネガティブなステレオタイプの表れともいえる「100歳まで生きたくない」人の比率が高いことから想像すると、そのような考え方をする人が多いと健康度が下がりやすかったり早死にしたりする可能性もあります。平均寿命は延びていくのですから、ポジティブなイメージを持って、少しでも元気な期間を延ばしたいものです。

リビングに笑顔で座る高齢女性
写真=iStock.com/seven
※写真はイメージです

「長生きしたくない」と思っても、100歳超えの可能性はある

自分はそうなりたくないと思っていても、100歳を迎える可能性はどんどん高くなっています。親が長生きして100歳を超えることも多くなるでしょう。「人生100年時代」、あるいは「人生110年時代」に向けて、まずは100歳以上の人たちを知らなければなりません。

メディアでは100歳を超えて活躍している人たちがしばしば登場します。1992年に双子のきんさん(成田きん)、ぎんさん(蟹江ぎん)が揃って100歳を迎え、話題となってコマーシャルにも出演しました。覚えている人もいるでしょう。

それから30年が経ち、画家、音楽家、医師、文筆家などさまざまな分野で100歳を超える著名人が見受けられるようになりました。また運動の分野では、マスターズ大会の100歳以上の部で日本人が記録を出したことが報道されています。

「ピンピンコロリ」でなくても幸せな長生きはできる

「生涯現役」という言葉がありますが、100年の生涯をまさに現役で過ごす人が増えているのは素晴らしいことです。アメリカの研究では110歳以上生きた人は、早く亡くなった人よりも人生の中で病気の期間が短いということも報告されているのです。これはいわゆる「ピンピンコロリ」に近い状態だといえます。

もちろん、そのような人たちは残念ながら今のところ一部でしかありません。体や認知機能に障害があったり、目や耳が悪かったりする人が多いのが現実で、私たちの調査では支障なく生活できるという意味で「自立している」人は18%だけでした。では「ピンピン」していることだけが幸せなのでしょうか?

注目しなければならないのは、「ピンピン」していない100歳の人たちが幸せかどうか、ということです。せっかく長生きしたのに日々の生活で幸せを感じられなければ、それはとても残念なことです。でも、私たちの調査では、身体機能が衰え自由度が低くなっていても、幸せだと感じている人が少なくないという結果が出ているのです。意外な結果と感じるかもしれませんが、これは事実です。「ピンピンコロリ」とはいかなくても、「フニャフニャスルリ」といけるかもしれない、私はそんな風に思うのです。

人はなぜ幸せを感じるのか、また幸せを感じるようになるにはどうしたらよいのか。それを明らかにすることは、私たちの幸せな老後を考える上で、大きな示唆を与えてくれるでしょう。

スーパー高齢者たちは病気になっていた期間が短い

現在、世界のさまざまな地域で100歳を超える人たちの調査が行われています。アメリカ北東部のニューイングランド地方で長年、100歳の研究をしているパールス先生が実施しているのは、100歳以上の人とその兄弟姉妹、そしてその子どもを対象にした長寿の秘密を探ろうという研究です。その研究では、「長生きしている人ほど不健康期間が短い」という報告が出ています。長く生きればその分だけ不健康な期間も増えると考えていた私にとっては、本当に信じられない、びっくりする報告でした。

データを見てみましょう(図表2)。このデータは、一般の高齢者、90歳未満で亡くなった人、90〜99歳で亡くなった人、100〜104歳で亡くなった人、そして105〜110歳で亡くなった人について病気にかかっていた期間を比較したものです。

図表2の下の図では、それぞれのグラフの横幅が病気であった期間を指しています。人生の中でどれくらい病気の期間があったかを見ると、年齢が高い人のほうがたしかに短い、つまり長寿者であればあるほど不健康な期間が短いという結果が出ています。

【図表2】長生きした人ほど不健康期間は短い
出所=『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)

長寿者であればあるほど高血圧、糖尿病になるのが遅い

パールス先生の研究によれば、長寿者であればあるほど病気にかかりはじめる年齢も高い、つまり110歳の人のほうが高血圧、糖尿病など、加齢と関連する病気になる年齢が遅いという結果を示しています。

さらにもう少し詳しく見ると、110歳の人のうち、100歳以前に病気にかかっていなかったという人が約7割もいたそうです。慶應義塾大学の研究では、百寿者の生物学的年齢を調べたところ、実際の年齢よりもずいぶん若かったことがわかりました。110歳まで生きる人たちは、加齢の速度が遅いのかもしれません。

次に日本のデータです。これは、国立保健医療科学院の中西康裕先生が奈良県の医療データを分析し、終末期の医療費がどれくらいかかるかということを死亡年齢別に調べたものです(図表3)。

グラフの一番右が亡くなった時点を指しており、当然、亡くなる前は医療費が高くなります。ただし比較的若い高齢者と100歳以上の人たちを比較すると、100歳を超えている人のほうがずいぶんと医療費は低い結果が見てとれます。もちろん医療費だけではなく、介護保険をどれくらい使うのかというデータと重ねてみると、あまり変わらなくなるとのことでしたので、人生の終末期に必要な経費は変わらないかもしれません。

米国のデータは長生きすればするほど「ピンピンコロリ」になることを支持していますが、日本のデータはそこまでではないかもしれません。しかし、長寿者個人に注目すると、その可能性が見えてきます。

【図表3】死亡までの日数と医療費の関係
出所=『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)

世界最長寿者、木村次郎右衛門さんの認知機能は?

男性の世界最高長寿者であり116歳まで生きた木村次郎右衛門さんの認知機能については、111歳の時の測定記録を紹介しましょう。視聴覚の低下、つまり耳が遠くて老眼が進んでいたため、こちらのいうことがなかなか伝わらない。ご本人はお話好きなので、どんどん自分から話されるのですが、対話が成立しにくいところがありました。MMSE(ミニメンタルステート検査)という百寿者の研究ではよく使われる認知症のスクリーングテストも受けてもらいましたが、それはうまくできませんでした。

115歳の誕生日を迎え、お祝いに駆け付けたやしゃごを抱く木村次郎右衛門さん=2012年4月19日、京都府京丹後市
写真=共同通信社
115歳の誕生日を迎えた木村次郎右衛門さん=2012年4月19日、京都府京丹後市

けれども、家族の人に普段の生活の様子を聞き、さらに木村さんが話をしている様子から、認知症ではないと判断することができました。自分自身がどのような生活を送っているかということをきちんと把握し、また、ご自身が体験したことを驚くほど細部にわたって語ることができました。

木村さんは116歳で亡くなるまで大病をしなかった

先ほど紹介した病気の期間について当てはめても、木村さんは人生の中で病気になった期間はほんの少しなのです。共同研究者の広瀬先生が、近所の診療所などに行って治療の記録などを探したのですが、ほとんど出てこない。ご家族も木村さんが病院に行った記憶がないといいます。80歳の時に白内障の手術を受け、103歳の時にめまいがして脳の検査を受けたけれど問題は見つからなかった。最後は114歳の時に右足の膝が痛くて病院に行ったが大したことはなかった。そのくらいしかなかったそうなのです。

木村さんは歩行機能に衰えがありましたが、このように、ほとんど病気にならずに生きてきました。ただ最晩年に心臓の病気が出て、心臓の石灰化が起こりました。これが起こると心筋梗塞になりやすいので、それで亡くなったのだろうと推測されています。このようなことですから、医療費、介護費ともにあまりかかっていません。同時に、とても幸福感が高かったのです。

PGCモラールスケールという質問票があります。そこでは「幸福度がどのくらい高いか」ということを測定します。「実測値」とあるラインが65歳〜70、80歳の平均ですが、木村さんの値はとても高いところにあったということがわかります。

木村さんは奥さん、息子さん、お孫さんが亡くなっていて、義理の娘さん、義理の孫娘さんと一緒に暮らしていました。家族と死別したことは残念に感じていましたが、明るい気持ちで毎日を送っていました。調査でお宅に伺うと、いつもご機嫌で出迎えてくれました。

長寿ゆえ妻や息子に先立たれたが、人生の満足度は高かった

最も印象に残った話を紹介しましょう。木村さんは若い時、『New National Readers』という英語の教科書を使って勉強していたと話しました。調べてみると1902年に発売されたそのようなタイトルの本があるということがわかりました。また、若い時に逓信学校で勉強し、非常に短い期間でモールス信号を覚えたということです。親戚の方からもお話を伺ったのですが、木村さんは昔から頭がよいことで有名だったそうです。

権藤恭之『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)
権藤恭之『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)

また、若かった時、朝鮮半島で仕事をしていた弟さんが体調を崩したので、現地に渡ってしばらく働いたことなども語ってくれました。そういう話をする時の木村さんはとても幸せそうで、人生に満足している様子がうかがえました。

別れ際には、「サンキュー・ベリー・マッチ」「ユー・アー・ベリー・カインドマン」と力強い声で見送ってくれました。その姿に長生きはいいものだと実感させてもらった記憶があります。

木村さんが幸せに暮らしていけたのは、自身の健康状態が良好だったことだけでなく、同居していた家族の存在があったからこそだと思います。近所の人も毎年季節になると鮎を持ってきてくださったそうで、それを丸ごと頭から食べるのが長生きの秘訣ではないかと冗談交じりにご家族が話されたことを覚えています。