戦後に「パンパン」と呼ばれた女性たちはなぜ娼婦になったのか。毎日新聞記者の牧野宏美さんは「1948年から49年にかけての記録を見ると、戦後の混乱の中、占領兵からのレイプがきっかけでパンパンになった女性が少なくない。性被害者なのに娼婦になるという経緯は一見理解しがたいが、心理学的に考えれば、そこには原因がある」という――。

※本稿は牧野宏美『春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで』(晶文社)の一部を再編集したものです。

田中絹代ら女優たちが「パンパン」を演じた映画『夜の女たち』1948年
田中絹代ら女優たちが「パンパン」を演じた映画『夜の女たち』1948年(写真=松竹/PD-Japan-film/Wikimedia Commons

戦後10年に至るまで、米兵に体を売っていた女性たちの声

街頭に立った女性たちは一体どのように思い、生きていたのだろうか。

『街娼 実態とその手記』(竹中勝男・住谷悦治編、1949年)は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)軍政部厚生課長エミリー・パトナムの助言を得て、京都の社会学者や医師らがまとめた調査報告書だ。1948~49年、キャッチ(GHQの憲兵や警察による強制的な性病検査)を経験した女性約200人に面会調査したもので、うち89人の手記や口述書が残されていた。女性たちの「生の声」といえるもので、そこからは占領兵とかかわりを持つようになった女性の多様な姿が浮かび上がる。大半が10代後半~20代前半だった。

目を引くのは、占領兵からのレイプがきっかけでパンパンになったという女性の存在だ。89人のうち、少なくとも8人が該当する。以下、いずれも『街娼』による。

17歳でレイプ被害にあい、絶望して占領兵の「オンリー」に

10歳になる前に両親を病気で失い、病院に勤務していたAさん(17歳)は帰宅途中に米兵からレイプ被害にあった。ところが一緒に住んでいた叔母にとがめられ、家出する。引用文中の「○○」は原文ままで、GHQの検閲で伏せ字になったとみられるが、占領兵を指していると考えられる。

〈岡山病院で外科の見習で勤務しましたが、23年8月に、ある日、帰宅が遅かったのですが街を歩いていると、○○が2人歩いて来て突然、つかまりました。大声を立てたらハンケチを口の中にねじこまれ、闇の横道につれて行かれて、強姦されました。私は、処女をやぶられたおどろきとかなしみで、そのまま闇の中にひとりで2時間も座ったまま泣いていました。それから家へ帰って叔母に全部をありのまま語ったら、叔母に怒られ、お前は一人で自活しろと云うので、私は家出しました〉

Aさんは上京し、知人の紹介で占領兵と知り合い、「オンリー」になる。オンリーとは、特定のひとりを相手にし、生活の面倒を見てもらうことだ。

ただ、Aさんは占領兵と結婚したいなど、将来像は何も描いていないという。誰とも恋愛した経験がない中、17歳でレイプ被害にあったことでやむなく生活が一変したのであり、主体的に人生を歩もうという意思が薄いように感じられる。