電車内での痴漢の扱いはどう変化してきたか。日本女子大学教授の田中大介さんは「電車が開通した明治時代から、車内での性暴力は少なくなかった。都市部のサラリーマンや労働者が急増し、混雑率が頂点に達した1960年代以降も、犯罪としての取締りが徹底されず、男性誌でも痴漢モノの小説などが娯楽として掲載され、痴漢は女性が『自衛』によって回避すべきものとして語られた」という――。

※本稿は、田中大介『電車で怒られた!「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

山手線
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1990年代まで「痴漢に遭うのは女にスキがあるせい」とされた

1990年代になると、痴漢に対する認識・状況が変化しはじめる。たとえば、同時期に「痴漢は犯罪です」というポスターが掲示されるようになった。あまりにもあたりまえのことのようだが、それまでの痴漢に関する言説の状況を考えれば画期的なものであった。

たとえば上野千鶴子は「長い間、痴漢は遭ってあたりまえ、遭うのは女にスキがあるせい、と思われてきました。ですが1990年代に、東京都の地下鉄で『痴漢は犯罪です』というポスターをみたときの感激を、わたしは忘れません」(『女の子はどう生きるか』岩波ジュニア新書、2021)と述懐している。これ以前のマナーポスターでは「痴漢に注意」といういいかたが定番であったが、それは被害者に向けて「自衛」を求めるものだったといえるだろう。それに対して「痴漢は犯罪」は、男性に多い加害者に向けた「戒め」となっており、メッセージの宛先が大きく反転している。

痴漢行為を注意された男性二人による強姦事件が契機に

痴漢が「犯罪」として広く認識されるようになったきっかけには、1980年代末に発生した、痴漢行為を注意された男性二人による強姦事件がある。この事件を契機として「性暴力を許さない女の会」が発足し、アンケート調査「痴漢のいない電車に乗りたい!」(1995年)が報告書としてまとめられた。

「地下鉄御堂筋事件について」(性暴力を許さない女の会)

調査報告は、各種メディアで取り上げられ、大きな反響をよぶ。警察も痴漢取締り活動を活発化させ、1996年2月に被害者対策要綱が制定されることによって、性犯罪事件対策が大きく進んでいった。鉄道警察隊には痴漢被害相談所がおかれ、痴漢防止活動を紹介する記事も多数掲載されるようになる。1999年の女性誌『オリーブ』の「気になるグッドマナーvs.バッドマナーあなたはどっち?」で、圧倒的1位は「満員電車の中の痴漢」であった。マナーレベルで語られているため移行期といえるが、大きな問題として共有されはじめていたことがわかる。こうして、「2000年代に入ると、それまで恒例行事のようであった男性誌の痴漢に関する記事が激減する」(牧野2019)ようになった。

もうひとつのきっかけは、女性の社会進出にともなう通勤電車における女性乗客の増加である。1980年代の専業主婦世帯と共働き世帯の割合は「2:1」であった。しかし、1990年代になると、「1:1」となり、2019年に「1:2」に逆転している。それにともない、2000年代以降、大都市部の定期券利用の男性乗車人員が減少する一方で、女性乗車人員は増加し続けた。その結果、定期券利用者の男女割合は、半々に近くなっている(「第12回大都市交通センサス調査〈調査結果の詳細分析〉平成30年3月国土交通省」)。