「無闇に頑張らせる」日本の“人格査定”
【江夏】昭和後期の日本企業では、階段を上ろうと、誰もがむやみに頑張るような人事慣行が構築されました。それは企業の活力につながった反面、過労やパワハラにもつながりました。令和の今日では従業員を動機付ける仕掛けとしては機能しなくなったものの、なかなかにしぶとく残っています。私は査定つまりは人事評価を研究の主対象にしているのですが、それに絡めて、このメカニズムを話させてください。
多くの日本企業では、人事評価の基準が曖昧で、手順も複雑です。こうした中では、従業員は、高い評価をもらいたいけれど、どうすればそうなるかわからない、という不安に陥ります。だからむやみに頑張るしかないんです。もちろん査定する側としては、なんとかちゃんと評価してあげたい。だから、頑張りも含めた被評価者の全人的要素も考慮に入れる。こうした「人格査定」が、従業員の頑張りを過熱させた背景にあったと私は読んでいます。
【海老原】人格査定ですか、言いえて妙ですね。人事制度全体が人格査定に相応しい仕組みになってますもの。その最たるものが職能等級の要件定義でしょう。これ、普通に考えれば、IT職と人事と経理が全部同じというのはおかしいですが、多くの企業では「全社一律」。職務ごとにスキルや知識などの規定がなく全社一律だと、結局、汎用的な能力しか書くことができません。それは必然、人格的な要素になってしまいます。
【江夏】職能資格制度の生みの親とも言われる楠田丘さんはその著書の中で、職能資格は職種ごとにつくり、数年に一度のペースで見直すべし、と述べています。評価基準を見えやすくすることは、頑張りの過熱を防ぐことにつながるため、必要なことだと思います。日本の多くの企業はそれをさぼってきたんです。
担当課長、担当部長…「階段を上れる夢」を与えられた男性社員
【海老原】僕は、楠田さんの指摘をあえて無視した部分もあるのではないか、と思っています。職能資格が普及する以前、1950年代に資格給という制度を多くの企業が導入していました。この制度の特徴は、工場勤務のブルーカラーでも、勤続を重ねると資格が上がり、ホワイトカラーに転換して管理職まで出世できたことです。それを「青空の見える人事管理」なんて呼びましたよね。だから、職群の壁を越えられるよう、わざと「人格要素」のみにしたのかとも思っています。
【江夏】そういうこともあって、「頑張れば報われる」ということの蓋然性が高かったといえるでしょう。ただ、その管理職になれる基準が明確でさえあれば、「こういうチャレンジしてみようか」とか、「自分には合わないから目指さない」といった、具体的な選択肢が生まれたはずなんですが、そこまで明確ではなかった。だから皆が闇雲に努力してしまったのでしょう。世間体や見栄もあったかもしれません。
【海老原】結果、会社のいうことに唯々諾々と従うことになったと。
【江夏】そうですね。ここまで頑張っているのだから、何とかしてくれるだろう、というのが働くモチベーションになっていたのでしょう。ところが、オイルショック後の低成長期になるとポスト不足となり、企業として従業員の頑張りに報いる、頑張らせることが難しくなった。そこで出てきたのが、担当課長、担当部長といった「部下なし管理職」です。それも男性のみで、数も少なかった女性は、対象外でした。