『ドラゴンボール』の本当の価値
『ドラゴンボール』は、レッド段階、ブルー段階のシビアなエピソードからオレンジ段階やグリーン段階へと進み、個々の自由や相互尊重といった観点が徐々に強くなっていった結果、「生ぬるくなった」と言う初期からのファンの声も多く挙がりました。
その気持ちはわからなくもないですが、筆者はこう考えます。
「意識の変遷を辿る作品」として教科書的に読めば、生ぬるいどころか、最後まで十二分にその価値を感じられると。
たとえば、孫悟空・悟飯の親子間における葛藤や心の交流など、精神的な部分が多く描かれるようになった後半は、一読の価値があります。
もともと鳥山明氏は、意識段階の成熟した「優しい」心根を持つ作者であると見受けられますが、敏腕プロデューサーだった初代担当編集者の鳥嶋和彦氏が、ヒット作に仕上がるよう、世の中の人々の意識段階に合わせて調節を行ないました。
最終的に、作者の素の人間性が出てくることで、作品内で表現される価値観もグリーン段階へと進み、より広い視点からのものになっていったわけです。
作風が「生ぬるくなった」のは、作者が成熟した証
なお『ドラゴンボール』に限らず、10年を超える長期連載の作品であれば、初期から後期にかけて、このような変遷を辿っていった作品は数多くあります。
たとえば『賭博黙示録カイジ』についても、連載が長期化することで、非常に「人間的」なエピソードが増えていきましたし、1976年から2016年まで『週刊少年ジャンプ』に連載された『こちら葛飾区亀有公園前派出所(通称「こち亀」)』も、初期の横暴なキャラクターたちが、後期には成熟した大人になっている様子が見て取れます。
「シビアだった展開が生ぬるくなっていった」と感じたとすれば、それは先ほども述べた通り、作者が長い連載期間を通じて、精神的に成熟していった結果でもある、と言えるかもしれません。
子供が生まれるなど、家族構成が変わっていくことで作風が変わるといった事例は、小説家などでもよく見られます。漫画家でも、ここに挙げた作品群は、そのような背景があってのことかと筆者は考えています。