82歳のモネは白内障が悪化し、濁った色彩の絵を描いていた
一方で、【口絵3】を見てみましょう。これはモネの晩年の絵です。1922年作で、モネが82歳のときの絵です。ジヴェルニーの彼の家の池にある、同じ睡蓮の池と太鼓橋を描いたものです。
この絵を、1900年に描いた60歳の時の作品【口絵2】と比較してみましょう。色彩から緑や青の鮮やかさは消えて、茶褐色になっていますね。形態の輪郭は崩れて、日本風の太鼓橋の形もぼんやりしています。同じ場所を同じ作者のモネが描いたとは、にわかには理解しがたいほどの変貌ぶりです。
多くの評論家によると、妻のアリスの死や、その後の長男ジャンの死がきっかけで、このような絵を描くようになり、これが後のフォーヴィスム(野獣派。目に映る色彩ではなく心が感じる色彩を使うのが野獣のようだとされた描き方)や抽象画の始まりである、とされています。
たしかに、崩れた形態や固有色から離れた色彩は、フォーヴィスムや抽象画の萌芽といいたい気持ちも分かりますし、関連があるようにも見えます。人によっては、この絵をゴッホの絵と勘違いする人さえもいるでしょうね。
目の水晶体が透明なレンズから黄褐色のレンズに変化
しかし、この見方は全く間違っているのです。私は眼科外科医として、白内障手術を中心に約25万件もの手術をしてきて、患者の術前・術後の見え方を観察しています。また、プロの画家としても彼らの見え方を注意深く観察しています。この経験から、このモネの絵画における色彩や形態の変化は、「白内障患者特有の典型的な見え方の変化」だと断言できるのです。
目の構造はカメラに似ています(図版1)。カメラのレンズに相当するのが水晶体というレンズです。
白内障患者では、目の水晶体レンズの組織が変化してきます。水晶体は老化現象などにより、若いときのほぼ透明なレンズから、黄褐色のレンズに変化してきます。
このために、全体に光の透過性が下がり、全体的にぼんやりと見えるようになります。さらに、ピンクなどの淡い色は見えなくなりますし、ものの境界もはっきりとは見えなくなってくるのです。また、透過光が減るので、全体的に雲がかかったようになり、暗く見えますし、視力も落ちるのです。
また、白内障になった水晶体の色である黄色やオレンジ色、この補色である、青や紫、濃い緑色などの光の短波長が、黄褐色化した白内障水晶体で吸収されます。このために青や紫や濃緑色のものから来る光は吸収されて、黒色のものと区別がつかなくなります。