進行すると青や紫が黒に見え、正しい色彩が分からなくなる
そのため、よくある現象ですが、白内障患者にとっては、青い靴下と黒い靴下が両方とも黒く見えるようになるのです。また、紫色の派手なシャツやズボンが、黒いシャツやズボンに見えるのです。また濃緑色も黒っぽく見えるようになります。
ここで気づくでしょうか? 口絵2の絵で使われた、モネの60歳時の印象派特有の華やかな青、緑、紫などが、口絵3の晩年のモネ82歳時の絵では、黒ずんだ茶褐色の色彩となり、かつ形態もぼんやりしてくるのです。モネの絵画の変化は、まさに典型的な白内障患者の見え方の変化なのです。
モネの目は、1904年ごろから白内障を発症します。08年のイタリアのヴェニス旅行での絵画制作で、視力が悪くなり色彩がうまく使えないことを嘆いています。白内障は透明なレンズが黄褐色を帯びたレンズとなりますので、黄褐色のガラスを通してものを見るようなものなのですね。色彩をうまくとらえられないことで、モネは作品への不満から、自分自身で多くの油彩画を廃棄しています。
モネの眼科記録を調べたところ、12年には、地元の眼科医から両眼の白内障との診断を受けています。さらにその後も、当時の多くの著名な眼科医の診察を受けています。手術も勧められているのですが、当時の白内障手術の技術は低かったため、視力を失う危険性も高く、モネは手術を恐れて、手術は受けたくないと拒絶しているのですね。
日本も含め、少し前の白内障手術は危険でさえあった
モネの時代の眼科白内障手術は、現代の眼科手術とは全く異なり、危険でさえあったのです。ただし現代であっても、日本は世界からつねに眼科手術が遅れているのも事実です。
私自身の体験談です。ほんの30数年前のことですが、私がまだ若造で、アメリカから帰ってきたばかりの時のことです。アメリカでは当たり前の超音波白内障手術と眼内レンズ移植術を、私が日本で初めて多くの症例で施行して、ほぼ全ての患者で1.0以上の視力を出して驚かれ、評判になりました。しかし、当時の日本の大学病院などでは、眼内レンズなど危ないだとか、超音波白内障手術など理解できないというのが大勢でした。