街のゴミ拾いを4年半続けるうちに仲間が増えた

2013年、71歳でおせっかい協会を立ち上げようと思った時、背中を押してくれたのが、2005年にガンで若くして亡くなった、プロウインドサーファー、飯島夏樹さんの言葉だった。

「得ることよりも、与えることに鍵があるね」

70代になり、これからの人生は世の中のために尽くしたいと思った時、この言葉が鮮烈に甦った。そうだ、与えることをやって行こう。一般社団法人にしたのは、ビジネスではないからだ。

「見返りを求めない。みんなが平等に幸せになるということを、理解した人が入れる会。愛あるおせっかいで、誰かの役に立つことを目指す会として、東京・中野にある自分の住まいを本部にして、一人で立ち上げました」

うちわやカレンダー、切手まで……仲間の発案でおせっかいグッズが増えてきた
撮影=伊藤菜々子
うちわやカレンダー、切手まで……仲間の発案でおせっかいグッズが増えてきた

最初は街をきれいにするために中野駅周辺で4年半、ゴミ拾いをした。すると、高橋さんの姿を見かけた人たちが一緒にゴミ拾いをするようになり、どんどん仲間が増えて、帰りがけに自宅で話をするようになった。こうして“おせっかい仲間”が増えていき、今やFacebookには3000人が集う。会費も無く、会報も発行していない会だというのに驚きだ。

「お金をかけないでやっても、これだけの人が集まるというのは、お金の力じゃなくて、人の心の力で活動ができるわけです。私は地位も名誉も何もいらない。同じような気持ちの人がもっと増えると、世の中はもっと良くなると思いますね」

今の子ども達に伝えていきたいこと

おせっかいを世の中に広めていく活動を、高橋さんは自身の使命とした。突き動かす原動力も、使命感が湧き上がる源泉も全て、母親が惜しみなく与えてくれた愛情から発している。

「私が私を失うことなく、私のままでいられるのは、母の無条件の愛があったからです。健康な身体に産んでくれたことと、『あなたにはあなたの、いいところがたくさんあります』と褒め続けてくれた。姉妹を比較しないで、その子の持っている本質を生かしてくれた。母は大正時代に生まれ、大変な戦争に巻き込まれ、それでも子どもの未来を思って、厳しく教育してくれました。人の家で生活していた時に、『天知る、地知る、我知る』という言葉に支えられたからこそ、この言葉を、今の子どもたちに伝えていくべきだと思うんです」