「心まで貧乏に染まってはいけません」
国にも人にも頼ることをよしとしない、高橋さんの母親は、道徳というものに非常に厳しい人でもあった。母親は娘たちに、一つの言葉を繰り返し教えた。
「天知る 地知る 我知る」
母親は三姉妹を並ばせ、こう諭すのが常だった。
「天が見ています。大地が見ています。そして、あなたが一番知っているでしょう。だから、どんなに貧乏になっても、心まで貧乏に染まってはいけません」
母親の稼ぎでは3人を育てることが難しいため、高橋さんと妹はそれぞれ、遠い親戚に預けられて、つらい時間を送ることとなった。
「その家には明治生まれの厳しいおばあちゃんがいて、私はひどくいじめられました。余計者でしたから。人間じゃない扱いをされた時は、悲しかったですね。トイレに行って泣いて、窓から飛ぶ鳥を見ていると、また泣けてくる。鳥は、自由でいいなーって」
この時、鳥を見てはっきり思った。高橋さん、14歳の時だった。
「私は絶対に、自由に飛べる鳥になりたい。過去は振り返らない。前向きに生きて行こう」
耳元で母の言葉が聞こえる
つらい時間を支えてくれたのが、母親のあの言葉だった。いつも、耳元で母親が囁いてくれた。生の声のように、響いてくるのだ。
「犬に牛乳をあげようとしたけど、ひもじくて、自分で飲んでしまおうと思った時、母の声が聞こえたんです。『天が見ていますよ。あなたが一番、知っているでしょう』って。人って、これほど心に染み込ませる言葉を与えられたら、絶対に悪いことをしない」
これが、高橋さんのおせっかいの原点だ。
高橋さんにつらく当たったおばあさんは死ぬ間際、高橋さんを枕元に呼び、「当時はすまないことをしましたね」と謝ってくれた。許す気持ちにはなれなかったが、はっきりと思った。
「私は、ひどい意地悪をされた。でも、されたことを、人には絶対にしてはいけない」
高橋さんのおせっかいの根底に、それは今もずっと横たわる。