笠置以外に日劇で「東京ブギウギ」を歌った歌手がいた?
とはいえ、日劇で「東京ブギウギ」をブレイクさせたのは笠置以外の歌手だった、ということではないはずだ。日劇ではその前月、1月28日から2月15日まで、笠置シヅ子主演の『キューバの恋歌』が上演されている。音楽担当は服部ではなく山内匡二だ。
「キューバの恋歌主題歌集」と題されたパンフレットを見ると、三つ折りの見開きで各景の概要とともに山内作曲の主題歌が紹介されており、「東京ブギウギ」の景はない。しかし折りたたんだ裏面には「笠置シズ子春の饗宴より」と大書されて映画のスチル写真と「東京ブギウギ」の歌詞が大きく掲載されている。このことから、アンコールのような形で(おそらく『春の饗宴』の映画のシーンのように)「東京ブギウギ」が歌われたことが容易に推測できる。
笠置の主演公演に続けて、笠置不在のまま、曲の人気にあやかる形で舞台の『東京ブギウギ』公演が行われたとすれば、その主役にあてがわれた淡谷のり子は心中穏やかではなかっただろう。その後の笠置批判の火種のひとつになったのかもしれない。
ただし、舞台公演の計画は当然数カ月前から行われるだろうから、3月の『東京ブギウギ』公演を企画し始めた時点では、まだ笠置とブギウギは決定的に結びついているわけではなかったようだ。服部の作曲家としてのスタンスからすると、ある曲を多くの歌手が歌うことで曲そのものが流行してゆく、というあり方のほうが望ましいだろう。これは、当時占領軍放送を通じて直接接することが容易になったアメリカのポピュラーソングのあり方とも重なる。
黒澤明監督の歌詞に笠置は「えげつない歌うたわしよるなア」
いずれにせよ1948年初頭から、「東京ブギウギ」は笠置シヅ子の歌として爆発的に流行していった。それを受けて同年4月には、黒澤明監督の『酔いどれ天使』のために「ジャングル・ブギー」が作られる。
黒澤自身の作詞で、「腰の抜けるような恋をした」「骨のうずくような恋をした」という元の詞に対して、笠置は「えげつない歌、うたわしよるなア」と溜め息をつき、「骨のとけるような恋をした」「胸がさける程泣いてみた」と修正したという。