秀吉政権に入るまでは何度も滅亡の危機にあった家康
それに対して今作は、平和の構築というテーマは根底に設けられているものの、その実現は、危難を何とか乗り越えてきた、という側面を重視している。実際にも家康は、秀吉に従属するまでは、いくどか滅亡の危機に陥りながらも、そのつど幸運によって切り抜けてきた、類いまれな強運の持ち主であった(このことは拙著『徳川家康の最新研究』朝日新書を参照)。今作のタイトルが「どうする家康」というのは、まさに現時点での等身大の家康を表現したものとして、巧妙というほかない。数年前の制作発表の際に、このタイトルに接して、大いに感心したものであった。
「どうする家康」の放送を機に、家康研究はさらなる進展をみせた。とはいえ家康の生涯は75年の長きにおよんでいる。しかも最終的には「天下人」として、日本全国を統治する存在になっているのだから、その事蹟は膨大である。そのためいまだ、そのすべてについて本格的な研究がおよぼされるにはいたっていない。
現在の家康研究は、秀吉に服属するまでの動向についてと、秀吉死去から将軍任官までの動向については、かなり研究が進展しているものの、いまだ秀吉政権期や、将軍任官後の動向については、従来の研究内容を完全には克服するまでにいたっていない。
家康は大坂の陣で羽柴家を滅亡させてから、わずか1年後に死去
また今作では、「徳川四天王」をはじめとした徳川家臣団がクローズアップされていたものの、それらについての本格的な研究は、実はほとんど進んでいない。酒井忠次、石川数正、大久保忠世、鳥居元忠、平岩親吉、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、本多正信、といった人々について、現時点で史料集や評伝書が刊行されているのは井伊直政だけにすぎない。
今作の放送を機に、部分的には本格的な研究が開始されるようになってはいるものの、その成果が大成されるところまではいたっていない。それらについての研究が、本格的に進展していけば、家康とそれらの具体的な関係が明確になり、それは家康の人物像にも大きく影響していくことになるに違いない。
家康は将軍任官後も、13年生きた。しかしその時の年齢は、秀吉の没年齢をすでに超えていた。私は近著『家康の天下支配戦略』(朝日選書)で、将軍任官後の外様国持大名との結婚政策についてまとめたが、そこでは20家以上と結婚を結んでいた。これは驚きであった。余命を思いながら、いかに徳川政権の安泰に取り組んでいたのか、その思いを強くした。
「天下人」となったものの、家康は最期まで薄氷を踏むがごとく、危難の人生を歩んでいたのであった、と思わざるをえない。大坂の陣で羽柴(豊臣)家を滅亡させてから、わずか1年後に死去しているのは、家康の人生を象徴しているといってよい。家康は死去する直前になって、ようやく安心を感じることができたように思われるのである。
1965年生まれ。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。博士(日本史学)。専門は日本中世史。著書に『下剋上』(講談社現代新書)、『戦国大名の危機管理』(角川ソフィア文庫)、『百姓から見た戦国大名』(ちくま新書)、『戦国北条五代』(星海社新書)、『戦国大名北条氏の領国支配』(岩田書院)、『中近世移行期の大名権力と村落』(校倉書房)、『戦国大名』『戦国北条家の判子行政』『国衆』(以上、平凡社新書)、『お市の方の生涯』(朝日新書)など多数。近刊に『家康の天下支配戦略 羽柴から松平へ』(角川選書)がある。