秀吉の最大のライバル、家康登場
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)で豊臣兄弟(秀吉・秀長)の最大のライバルとなるのが徳川家康(1543〜1616)です。そして同ドラマで家康を演じるのは松下洸平さんです。家康と言うと読者はどのようなイメージを持っているでしょうか。
有名な「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の句が表すように、忍耐強く慎重な性格と思っている人が多いのではないでしょうか。実際、家康には慎重な面がありました。永禄3年(1560)、満年齢で17歳、まだ松平元康という名だった時代、桶狭間の戦いにおいて、織田信長により今川義元が討たれた時もそうです。
桶狭間では慎重すぎて叱られた
家康は義元戦死の際、大高城(名古屋市緑区)におりました。今川方の部将として大高城に兵糧を補給する役割を担ったのです。「義元討死」の報は大高城にいる家康のもとにも寄せられます。周囲の家臣らは家康に「義元は討死されたと聞きます。そうであるならばここを早々に引き払うがよろしいかと」と進言したとのこと(江戸時代初期の旗本・大久保彦左衛門の著作『三河物語』)。
大高城でぐずぐずしていたら、勢いに乗った織田方が来襲してくると家臣らは危ぶんだのです。ところが家康は次のように返答したと言います。
「たとえ義元が討死したとしても、確かなことはどこからも知らせが入っておらぬ。そうであるのにこの城から立ち退き、その後、義元戦死が嘘であったならば、二度と義元に顔向けできぬではないか。その上、この事が人々の噂となったならばここで命を永らえたとしても意味はない。よって確かな知らせがない限りはここを退いてはならん」と。
要はしっかりした情報が入らない限りは軽々に動かないぞということです。
しかし、そうこうするうちに、三河国刈屋城主の水野信元(家康の母・於大の方の異母兄)からの使者(浅井六之助道忠)が家康の前に現れます。そして「大高城に留まっているのは油断である。義元は討死した。よって明日には信長の軍勢がここにも押し寄せよう。今夜のうちに支度して早々にここから退かれよ。我らが案内しよう」との信元の言葉を伝えるのでした。