罪悪感の支配から自由になる
このお金と罪悪感の関係がよくわかる実験があります。
『お金に縁のある人、ない人の心理法則』で紹介している行動経済学者ウリ・グニージー教授の実験です。その実験とは、託児所で迎えの時間を守らない親が多いので、罰金制度をもうけてみたというものです。罰金制度で、時間を守る親が増えるだろうと考えてのことです。
結果は、逆に時間を守らない親が増えました。
「罰金を払うのだから、遅刻してもいい」と判断する親が多かったのです。お金を払うことで、時間を守らないことへの罪悪感が減ったのですね。この実験を素直に読むと、「お金は道徳心を崩壊させる」とも言えます。お金を払えば何をしてもいい! という気持ちになりうるからです。
同時に、「罪悪感の支配から自由になる」と聞いて、ひびく方もいたでしょう。罪悪感は、自分で自分の幸せをジャマする心の鎖にもなるからです。
お賽銭の払いかたで幸福度が変わる
神社でおさいせんを払うときに、ひとつ大事なことがあります。それは「交換条件なく、お金を支払う」ことです。
託児所の実験では、「お金で遅刻の権利を買った」みたいになりました。お金が遅刻との交換条件になって、それで遅刻に対する罪悪感が減ったわけです。そこで、交換条件なく「おさいせん」を払うことで、道徳心の崩壊を招くことなく、不要な罪悪感を減らせます。
神社へのおさいせんは、一般的な寄付とも同じような効果があります。トム・ラス、ジム・ハーター著『幸福の習慣』で紹介しているハーバード大学の研究によると、誰かへのプレゼントを買ったり、慈善事業に寄付したり人は、1日の終わりに幸福度が大きく高まりました。
一方、自分のためにお金を使った人の幸福度は変わりませんでした。おさいせんも寄付も、幸せに生きるちょっとした工夫です。罪悪感が減り、自分を肯定する気持ちが高くなります。不要な罪悪感は、誰かのためにお金を払って、どんどん手放してください。
神様に交換条件を出すと願いはかなわない
「交換条件なく、お金を支払う」ことについて、さらに解説しましょう。
おさいせんを払って、「この願いをかなえたい!」の心理的な意味合いは、「願うことで、その願いをかなえることへの罪悪感を手放せる」ことです。
たとえば、「月収100万円を稼ぎます」と宣言すれば、月収100万円になることへの罪悪感が減り、達成へのOKを自分に出せます。しかし、「この願いをかなえてくれるなら、おさいせんを払う」という交換条件付きの払い方は、逆に罪悪感を増やします。