2010年代後半、ようやく「男社会のルール」が崩れ始める
なぜ、営業や生産などのいわゆる利益を生み出す現場に、女性を出せなかったのか。その理由は、こうした「現場」が荒々しい男社会のルールでできていたからに他なりません。そこに、企業は考えが行きつかなかったのでしょう。本当なら、過保護という「理解なき支援」をするよりも、現場の粗忽さを取り除くことの方が重要です。そのことに気づき、大企業中心にようやく男社会ルールが変わりだすのが、2010年代後半くらい。その原動力となったのは、「女性総合職の数」に他なりません。
2000年頃から総合職女性が増え始め、それは当初、4R(人事/HR、経理/IR、広報/PR、顧客対応/CR)に配属が寄せられました。が、その数が増えれば4Rでは女性を受け止めきれなくなります。そこで、男性社会に順応しやすいキャラクターの女性などから、現場への配属が始まり出します。2010年代に入ると、各部署で女性比率が上昇し始めました。
そして、彼女らは男性並以上の働きぶりを示します。企業はここで困り始めます。彼女らが結婚や出産で辞めると経営が成り立たなくなるからです。そこで、2010年代後半から、急激に、会社が「女性シフト」し始めました。女性活躍の波が起きたのは、ひとえに女性総合職の数が増えたからに他ならないでしょう。
15年前は、森氏のヘイト発言もお咎めなしだった
たとえばここ数年の間に、働く風景は大きく変わりました。コロナ禍でのリモートワークやDXが進んだことも一因ですが、それ以上に働き方全体が、かつての日本企業の宿痾を取り除く方向にどんどん動いているのです。
すぐに思い浮かぶのは、セクハラ、パワハラでしょう。10年前まではごく普通に見られた発言・行動が、今では厳しく問われています。2021年2月には、元首相であり、五輪・パラリンピック組織委員会元会長でもあった森喜朗氏の「女性は話が長い」発言が炎上し、辞任に追い込まれました。でもかつては、その異常さにも気づかないほど、社会は鈍感だったのです。
森氏は2007年には、新幹線の栗東駅新設にGoサインを出さない滋賀県の嘉田由紀子知事(当時)に対して「女の人だなぁ、視野が狭い」と発言したことがあります。当時もそれはニュースになりましたが、氏が公職を追われることなどありませんでした。
昨今使われる「女性活躍」という言葉も、2010年代前半までは「女性活用」でした。活用って物や動物じゃあるまいし、女性たちからしたら、何と「上から目線」な言葉でしょうか。
慰安婦問題でオバマ政権を通して日本に譲歩を迫る韓国の朴槿恵政権に対して、「女学生の告げ口外交」と揶揄した野党有力者もいました。弱者の味方を標榜する政党で、友愛をモットーにしていた人が、その発言をしたのです。本当に隔世の感がありますよね。