よく日本の男女平等は遅々として進まないといわれる。本当なのか。雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんは「そんなことはまったくない。M字カーブはほぼ解消されたし、女性の非正規社員の数を正規社員が抜く日は近いだろう。新任課長に限れば女性の割合は3割に達している。企業における“男の論理”はますます退潮していくだろう」という――。
オフィスでハイタッチする女性社員たち
写真=iStock.com/metamorworks
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女性の最終学歴は四大が主流に

前回は、欧米で第2次世界大戦後に、急激に女性の社会進出が広がった理由を、各国の事情に合わせて説明しました。北欧、アメリカ、フランス、オランダのケースからわかるのは、経済要因や人口構成の変化、社会問題などが重なり、女性が働くことへの要望が高まったときに社会変化が起きていることがお分かりいただけたでしょう。

ひるがえって、日本はどうでしょう?

こちらも同じです。1990年代のバブル崩壊と長期不況により、日本の企業はかつてのように、誰もが管理職になれて、働かない中高年社員に高給を支払えるほど、裕福ではなくなりました。その結果、専業主婦は減り、家計を支えるために、多くの主婦はパート労働に精を出すことになります。

と同時に、OLモデルという働き方に綻びが生じます。短大を出て、事務職として総合職男性のサポート役を務め、結婚か出産で退職するというこの働き方は、まさに「昭和の女性」の生き方そのものでした。ところが、バブル崩壊は企業の経営環境を悪化させ、こうした事務アシスタントの求人が急減したのです。ここから短大を卒業しても就職がままならなくなり、女性たちも四年制大学を目指すようになる。1996年には女子高生の四大進学率が短大を上回る逆転現象が起こり、ここから、女性の最終学歴も四大主流になっていきます。

2000年代に入って女性総合職が続々社会へ

そうして、彼女らが卒業して社会に出る2000年頃より、次第に大手企業でも女性の総合職採用が増えだします。女性が群をなして総合職となるそのフロンティアは、2000~2005年あたりになるのです。その時点で、雇用機会均等法施行から20年近く経っていました。

【連載】「少子化 女性たちの声なき主張」はこちら
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フロンティア女性たちは、男性社会で数々の軋轢に晒されました。セクハラ、パワハラなどはその最たるものですが、それとは真逆の「過保護」や「隔離」などもまま見られたものです。女性社員は営業や生産には携わらせず、本社内勤に留め置き、はれ物に触るように育てていく。男性側からすると配慮しているつもりなのですが、それでも女性は窮屈さを感じます。そうすると、男性側は「女性は扱いづらい」と嘆き、女性は「分かってもらえない」と反発をする。なかなか難しい時代でした。