本連載では、女性の生き方、とりわけ働き方についての歴史を振り返ってきました。
ナポレオン法典から続くフランスの民法や明治民法など、当時としては先進的な法体系でも、「女は無力で夫の所有物」という趣旨の規定が20世紀半ばまで残存したのです。
そうした「差別」が温存された最大の理由は、労働社会を男性が牛耳り、女性は食い扶持を確保することが難しかったことにあるでしょう。事実上、ほんのつい最近まで、女は働けず、男にすがるしかありませんでした。
そして、なんと、トルストイやエレン・ケイ、平塚らいてうなど当時の開明的な識者が、「女は家に」という差別を、しきりに唱導していたのです。
ただ、女性が働けるようになれば、男にすがる必要はありません。当然、明治民法やナポレオン法典のテーゼは壊れます。この基本原理を、100年も前に声高に叫んだのが与謝野晶子でした。
そうして、平成になると徐々に女性は家庭から解放され、社会に出た。まさに、晶子の描く世界観に近づいたわけです。当然の帰結として、男にすがる必要がなくなった女性は、無理して結婚を選ばず、少子化が高進した……。
ここまでが前回の主旨となります。
専業主婦前提の「幸せな家庭像」
日本の場合、1945年の敗戦で明治の法体系は捨て去られ、1946年公布の新憲法により、男女同権が謳われました。本当はそこで、女性の地位は回復するはずだったのですが、昭和の社会では、差別が巧妙に進化し、精密機械のような枷となって、より深く私たちの「常識」に染み込んでいきます。
見合いではなく恋愛で結婚相手を選び、老親から離れて核家族として世帯を持つ。そして、子ども2人を設け、標準家庭を築く。こんな西欧的な「ロマンティックラブ」が当たり前になる中で、夫は会社でバリバリ働き、妻は家を守るという専業主婦前提の「幸せな家庭」テーゼが、社会の隅々まで行き渡ってしまいました。この、異見を挟みにくい「幸せな家庭像」こそが、女性の社会進出を阻んでいくのです。
戦前の「妻は夫の所有物」テーゼとは異なりますが、「幸せな家庭」テーゼも、十二分に性別役割分担を維持強化したと言えるでしょう。
そうした軛が、女性の社会参加が進んだ今も尾を引き、令和の男女の心にも、その残滓が溢れています。晩婚・未婚・少子化問題の大きな原因がそこにあります。女性が外で働くことが当たり前になる一方で、家事、育児、そして介護までもが女性に偏重する状態は残り続ける。働く女性にとって、専業主婦を前提とした「幸せな家庭像」は、“無理ゲー”に他なりません。経済力を得た女性が結婚を選ばなくなったことは当然といえるのです。