大ニュースになった強制捜査の後に教団を出られたが…
それで私は社会に戻りました。母の従妹が母に連絡を取ってくれ、私も保護者がいなければ、児童相談所に保護されてしまうから戻ってきてくれと母を説得しました。母も情報がない生活をしていたため、オウムの置かれている立場をわかっていなかったのです。
その後母とふたりで家に戻ったんですけれど、父は家からいなくなっており、帰った家はがらんともぬけの殻で。家には何回も事情聴取に警察が来ていたので、私たちがオウムに入信していたことが近所の人たちにばれてしまって、犯罪者を見るような目で見られて、私たちは追いたてられました。親族からも家を出ていけと追いだされるような形で、私たち、母と私はゼロから、マイナスからの生活をスタートしなくてはいけないような状況になってしまいました。その頃、母は父と離婚しました。
世間は厳しく犯罪者扱いされてオウムに逆戻り
母は働きに出たのですが、働き先にも警察が来てしまって、何度も仕事をクビになったりしてしまったので、生活がほんとうにできなくて、私は高校に通いなおすこともできませんでした。それが1年ほど続いて、やっと周囲が少し助けてくれるようになってきて、私は違う高校に復学したんですけれども、精神がついていけなくて、1年で退学しました。そのときがいちばん苦しくて、もうしゃべることもできないぐらい追いつめられてしまって。もうこの世から消えてしまいたいと、自死も何度か頭をよぎりましたが、家に1年ほどひきこもって耐えました。そのあと、オウムの元信者のかたに助けてもらって、アルバイトを始めたんです。でもどうしても社会に馴染むことができず、私はオウムに戻ってしまったんです。
そのひきこもっていた時期に出家信者たちからも在家信者たちからもコンタクトがあったのが理由です。1999年のことでした。この年の第7の月にハルマゲドンが来ると麻原彰晃は信じていて、私も期待していました。もちろん何も起きませんでしたけれど、起きなくても教義を信じたままでした。カルトを信じて、妄信していた自分がいたんです。麻原は当時も私にとって絶対的な尊師でした。
それでオウムにしばらく在籍していたんですけれども。20歳になって完全に脱会することになりました。オウムがアレフに改称する前後です(のちに「アーレフ」を経て、現在は「Aleph」)。