社員たちを「恐怖」で管理する社長

社長は社員たちを「恐怖」で管理していました。

社員は自分の考えを述べて、それが社長の考えを否定するものであれば、ほぼ確実に降格させられます。

「会社は採算性のある部門だけを残して、規模を縮小しているだけ。こんなことなら誰にでもできる」といった本音など、誰も口にできません。

そんな事情を知っていたため、目の前に座った社長から「社員が自分を本当に信頼するようになったのは……」と聞いた私は、想定外の問い掛けにフリーズしてしまったのです。

「わかりません……」と答えた私に、社長は「業績を改善して、皆のボーナスの額を上げた時からだ」と話しました。

社長は「先日支給したボーナスの額を、自分が就任する前よりも引き上げた」「そうできるように業績を回復させたことで、社員たちが自分のことを本当に評価するようになった」と自慢するのです。

操られている従業員
写真=iStock.com/Tijana87
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社長は就任してから役員へのボーナス支給をなくしてしまい、他の社員への支給額も減らしていましたから、直近のボーナスの支給額を少し上げたところで、それまで支給していなかった分の補塡ほてんさえできていません。

実際のところ、会社は一時的に黒字化したように見えるだけで、事業が成長しているわけでないのは、誰にでもわかることでした。

そこで見切りをつけて転職活動をする人たちも増えているのですが、それでも社長は、周りのイエスマンたちがおだて上げるからでしょうか。(少なくとも会社に残っている)社員には信頼されていると思っている様子なのです。

問題は「何とも思っていない」ところ

ここで私は、この社長が裸の王様だと悪口を言いたいのではありません。

従業員や取引先からちやほやされ、自分が立派だと信じ込んでいる経営者は、めずらしくありません。彼らが自らを優れていると思っていることや、あるいは、そう勘違いしていることは構わないのです。

無視できないことは、むしろ別のところにあります。

この社長の例で言えば、会社を黒字化するために、リストラや無理な経費削減をするのを「何とも思っていない」ところが問題です。それによって不利益を被る人たちのことをまるで気にしていないのです。

社長は、「犠牲」となっている人や物事について、想像をめぐらすことさえしていません。

リストラには費用が掛かりますし、会社として再就職活動のサポートも実施しているでしょう。

しかしながら、黒字化するために人員を削減したり、経費削減で(例を挙げると)社内研修の一切を取りやめて、会社から人材育成活動の機会をなくすといった「犠牲を払うこと」について、何ら痛みを感じていないのです。それどころか、こうした経営者は犠牲を出すことが、むしろ自分の立派な行動力の表れであり、評価されるべきと思っていることもめずらしくありません。