次に「気持ちに火が付く」のは何年後か

本来なら秋田へ戻り、東京での学びをメンバーにシェアし、もっと現場を整えてから再度チャレンジするべきなのかもしれない。でも……。

「その時点で、私は40代半ばも過ぎていて、次に機会が訪れるのはいつになるのだろう、と。秋田に戻ったあと、また気持ちに火を付けられる自信がなかったんです。チャレンジするなら、今回が最後になるだろうと思いました」

もともと全国転勤など考えていなかった新城さんは秋田にマンションも購入していた。正直東京に行かない理由の方がたくさんあったが、それ以上に、「これまでの経験を生かして役に立ちたい」という気持ちが強く燃え上がり収まらなかった。

内示が出るまでは、職場のメンバーに話せないこともつらかった。直接ではなく、辞令で突然知らされたショックを思うと胸が痛む。新城さんは全員に手紙を書き、手渡した。

最も親しかった同僚とは、二人きりで飲む機会があった。共に苦労を乗り越えてきた戦友であり、素直な気持ちを語り合った。彼女に、手紙を渡した時のことはずっと心に刻まれているという。

「秋田に戻ってくると思った」という言葉と共に何杯か飲んだあと、彼女が言ってくれたのは「行くと決めたなら、会社に影響を与えるような仕事をしてほしい」というエールの言葉。

「必死で努力しなければ申し訳ないと、覚悟を決めた瞬間でした」

「ネクタイを締めている人間を連れて来い」

入社約30年目にして上京。そして総合職としてゼロからのスタート。困ったときに頼れる人脈もない中、初めての業務に四苦八苦することばかりだったが、2年目には総務部長に任用された。

山形支社への赴任が決まったが、現地では女性初の役職だったのもあってか最初は警戒されるような空気もあり、契約者からの申し出に出向いた際に、「ネクタイを締めている人間を連れて来い!」と言われるなど、最初はなかなか苦戦した。職場でも部下や職員から信頼を得るために何をしたらいいかと悩み、上司に相談したところ「それを指示して動かすのが総務部長の仕事」と、逆に自分の甘さを厳しく指導され、ひどく落ち込むこともあった。