「元気で働けるなら何歳まででもいいじゃない」

昨年、熊谷さんは80歳になった。ノジマはパート、アルバイトの年齢制限を80歳と定めている。熊谷さんが言う。

「80になった時、自分じゃ何も考えていなかったんですが、店長から『熊谷さんどうするの』って聞かれて、定年ですよねーって言ったら、『自分でやれると思ったら続けていいんだよ』って言われて、じゃあ、まだやめないでおこうかなと(笑)。後から来る人に、少しでも道がひらけたらいいとも思いますしね」

かつて人事も担当していたビジネスサポート部の田中義幸さんによれば、80歳を超えて熊谷さんを雇用することについて、社内で一応の議論はあったらしい。

「80歳になったパートさんが継続を希望していることを、社長の野島(廣司)に相談したんです。そうしたら、『ご本人がやりたいならいいんじゃない?』のひと言でした。高齢の方は仕事をやめると健康を害されたりすることが多いので、年齢を重ねても働ける場を少しでも社会に提供していきたいというのが社長の考えです。ルールは80歳までだけど、ご本人が元気で生き生き働けるなら何歳まででもいいじゃないかと」

呉服の知識、技術が導いた「今の幸せ」

現場の責任者(店長)に判断が任されていることも大きいと、田中さんは言う。日頃の仕事ぶりを見ている店長がOKなら、多少制度をはみ出してもOK。現場の裁量に任せて柔軟な店舗運営を実現していることが、ノジマの強みなのかもしれない。

当の熊谷さんは、いったい何歳まで働くつもりなのだろう?

「私、お正月の御浄銭を配る若い人たちに振袖の着付けをしてあげるんですが、それが終わったら辞めようかなって、毎年、思うんです。私は周りの人に助けてもらっている面があるから、自分から何歳までやりたいとは言えません。でも、昔苦労した分、いま、すごく幸せなんです」

熊谷さんを苦しめもし、助けもした呉服の知識が、熊谷さんを職場に繋ぎとめている。人生の不思議を思わずにはいられない。

山田 清機(やまだ・せいき)
ノンフィクションライター

1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。