「仕事はずっと楽しい」

どんなときも全力投球。そんな佐藤さんの人生がはじまったのは、「幼稚園のころです」という。

「私は他の子より遅れて年中組から入園したのですが、そこで幼稚園の先生に『エミちゃんは年中さんから入ったのに、すごく優秀だから、先生の孫も年中さんから入れることにしたの』と褒められたんです。その言葉がすごく嬉しくて。頑張れば周りの人に褒められるんだって。それからたくさん本も読んで、勉強もして、こうしたらもっと褒められる!をモチベーションに、中学を卒業するまではクラスの優等生キャラでした」

そんな順風満帆な日々に影が落ちたのは高校に入学してから。

「猛勉強をして、自分の実力以上の進学校に入ったら、思ったようにテストで点数が取れなくなってしまい。そのうち、大好きな本の文字もぼんやりぼやけて上手く読めなくなりました。読めない、あれ? と。そのころちょうど家庭もぎくしゃくしていて、なにか燃え尽きたというか。勉強に身が入らなくなってしまいました」

そんな佐藤さんの日々に光が見えたのは、浪人時代の予備校代を稼ごうとアルバイトをはじめてからだった。

バイトにもかかわらず、働き始めてすぐ営業としての頭角を現し、正社員の成績も抜いて、営業成績トップに。

それから今日まで「仕事はずっと楽しいです。上司に悩んでいたときも、仕事は好きでした」と、佐藤さんは笑顔を見せる。

理想の上司との出会い

そんな佐藤さんに、社会人6年目で大きな出会いがあった。相手は、入社当時は別の営業チームでマネージャーをしていた池端由基さんである(現・上級執行役員)。

「とにかく前向きでポジティブなんです。例えば、『船頭が多くて話が進まない案件があって、どうしようかなと思うんです』と相談すると、『そうやって皆に意見があるなんて、すごくない?』と。話していると、そういう風に考えるんだ! と目からウロコなことばかりで。確かにそう思ったら、前向きに考えられるし、おかげで私もメンバーから『佐藤さんはすごくポジティブ』とか、『大変なことがあっても、いつでも元気ですごいですね』と言われるようになりました」

「佐藤がいれば大丈夫」

今年4月に、前任の池端さんから仙台の子会社の社長を引き継いだ。

そのとき佐藤さんが最初に決めたのが、仙台に腰を据えること。現場のメンバーとコミュニケーションを取りながら信頼関係を築こうと考えたのだ。目標達成に向けたキャンペーンを企画して、盛り上げるためのポスターを作ったり、毎日上がってくる報告にスタンプを押してたくさん褒めたり、チーム一丸となり見事目標を達成した。最後は皆でケーキを食べて、喜んでもらえたことが嬉しかったという。

日々の癒しは、朝7時から時間をかけてつくり、しっかり食べる朝ごはん。調理中は仕事のことを忘れ、すっきりリフレッシュして会社に向かうという。
写真=本人提供
日々の癒しは、朝7時から時間をかけてつくり、しっかり食べる朝ごはん。調理中は仕事のことを忘れ、すっきりリフレッシュして会社に向かうという。

LINEに転職して、「めっちゃ、良かったです!」と佐藤さんの声がはずむ。

「今は信じられる人がたくさん周りにいて、いつも支えられています。だからこそ私も、『佐藤がいれば大丈夫』と思ってもらえる自分でありたいと思っています」と。

歌代 幸子(うたしろ・ゆきこ)
ノンフィクションライター

1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。