LINE本社の法人マーケティング室 室長の佐藤瑛実さんは、今年4月に子会社のLINE Marketing Partnersの社長に就任。東京で暮らしながら、週の半分以上は仙台の子会社に勤務する多忙な日々を送っている。そんな佐藤さんには何人もの“反面教師”な上司たちとの苦節の日々があった――。

2つの拠点で合計100人を超える部下を抱える

今年4月、LINE Marketing Partnersの社長に就任した・佐藤瑛実さん。辞令が出たのは3月中旬、まさかの異動に驚いた。東京のLINE本社では法人マーケティング室で46名の部下をまとめ、週の半分以上は仙台の子会社に勤務。さらに70名ほどの部下を抱えて奮闘する毎日だ。

「もともと馬力はあるほうですが、やっぱり身体はしんどくて」と苦笑するが、その声は溌溂としている。

LINE本社 法人マーケティング室 マネジャー 佐藤瑛美さん
編集部撮影
LINE本社 法人マーケティング室 室長 佐藤瑛実さん

2回の転職を経験し、様々な上司に鍛えられてきたことが、臨機応変のマネジメントでも強みになっているようだ。

「女のくせに生意気」

コールセンターで派遣として働いた学生アルバイトの経験を活かして、新卒で入社したのはコールセンターベンダーの企業。リーマンショックの不景気の中、いちばん辛かったのは営業の厳しさではなく人間関係だった。

「課長と部長の仲がすごく悪くて、板挟みになってしまい大変でした」

女性社員が少ない職場で、「これ、やっといて」と何かと事務作業も振られる。 同期の男性社員がサウナへ行くのを横目で見ながら、何で私が手伝わされるのかと不満もつのるが、少しでも反論すれば「女のくせに生意気」といわれ、腹が立ったと振り返る。

そのうち人に依存するビジネスよりも、システムで企業の課題解決の営業ができるようになりたいと思い、最大手の外資系企業へ転職。

インサイドセールスとして、多様な企業の経営者と関わると同時に、パフォーマンスが上がらないメンバーの教育担当を任されるようになっていく。

「俺が飴をやるから、鞭をやってほしい」

最初にサポートした後輩がぐんと成長したことが評価され、職場で「佐藤再生工場」と呼ばれるようになっていた。

上司と密に連携し、指導にアドバイスを受けながら進めていく。しかし、まさかのそれが裏目に出てしまう。

上司の誤った指導を鵜呑みにしたことで、手痛い失敗を追うことになったのだ。

「私も20代半ばと若かったので、頼りにされることがとても嬉しくて。上司からは『俺が飴をやるから、佐藤さんは鞭をやってほしい』と言われていました。今からすれば、そんなことを平気で言う上司などあり得ないけれど、それまで後輩がいたこともなかったので、先輩としての指導はそういう感じなのかな……?と。とにかく期待に応えたくて、深く考えず、教えるメンバーへの言葉が日に日に厳しくなっていきました」

あるとき「佐藤さんの指導が怖いです」という声があったと、人事部からヒアリングを受けた。同僚や直属の上司は、そのような指示があったことを知っているので、フォローしてくれたが、佐藤さんがショックを受けたのは肝心の上司にだった。

上司が言ったのは「そこまでやっているとは思わなかった」という冷ややかな言葉。

「“絶対に嘘じゃん”と。私が後輩と話していたのは、個室ではなく、上司やみんながいるオープンスペースででした。その上で、上司には『もっとやっていいよ』と言われていたんです。すごく悔しくて、家に帰って泣きましたね」

と佐藤さん。社会人経験の中でも一度きりの涙であり、忘れられない失敗だという。

それから3年勤めた後、佐藤さんはキャリアアップを目指して、転職を決意。2015年1月、佐藤さんはLINEに入社した。

1日7アポ、点滴を打って会食へ

「LINEビジネスコネクト(現Messaging API)」の営業組織の立ち上げメンバーとして加わった。当時のLINEはまだまだアナログな組織で、あまりルールも固まっていなかったので、営業活動の傍ら、ガイドラインや申込書・契約書の作成からテクニカルサポートまで、抱える業務は膨大だった。

「当時は人手も足りず、1日7件ほどアポに向かうことに。いつも45分刻みでダッシュしている感じでした。過労からか胃腸炎になってしまい、毎週のように会社の近くの内科へ駈け込んでは点滴をしてもらう。そして夜は営業先との会食に行くような毎日で……」

それでも持ち前の馬力と決断力、作業スピードの速さで、入社2年目には管理職に昇進した。その後、B2Bマーケティング組織の立ち上げ等を担っていく。

「仕事はずっと楽しい」

どんなときも全力投球。そんな佐藤さんの人生がはじまったのは、「幼稚園のころです」という。

「私は他の子より遅れて年中組から入園したのですが、そこで幼稚園の先生に『エミちゃんは年中さんから入ったのに、すごく優秀だから、先生の孫も年中さんから入れることにしたの』と褒められたんです。その言葉がすごく嬉しくて。頑張れば周りの人に褒められるんだって。それからたくさん本も読んで、勉強もして、こうしたらもっと褒められる!をモチベーションに、中学を卒業するまではクラスの優等生キャラでした」

そんな順風満帆な日々に影が落ちたのは高校に入学してから。

「猛勉強をして、自分の実力以上の進学校に入ったら、思ったようにテストで点数が取れなくなってしまい。そのうち、大好きな本の文字もぼんやりぼやけて上手く読めなくなりました。読めない、あれ? と。そのころちょうど家庭もぎくしゃくしていて、なにか燃え尽きたというか。勉強に身が入らなくなってしまいました」

そんな佐藤さんの日々に光が見えたのは、浪人時代の予備校代を稼ごうとアルバイトをはじめてからだった。

バイトにもかかわらず、働き始めてすぐ営業としての頭角を現し、正社員の成績も抜いて、営業成績トップに。

それから今日まで「仕事はずっと楽しいです。上司に悩んでいたときも、仕事は好きでした」と、佐藤さんは笑顔を見せる。

理想の上司との出会い

そんな佐藤さんに、社会人6年目で大きな出会いがあった。相手は、入社当時は別の営業チームでマネージャーをしていた池端由基さんである(現・上級執行役員)。

「とにかく前向きでポジティブなんです。例えば、『船頭が多くて話が進まない案件があって、どうしようかなと思うんです』と相談すると、『そうやって皆に意見があるなんて、すごくない?』と。話していると、そういう風に考えるんだ! と目からウロコなことばかりで。確かにそう思ったら、前向きに考えられるし、おかげで私もメンバーから『佐藤さんはすごくポジティブ』とか、『大変なことがあっても、いつでも元気ですごいですね』と言われるようになりました」

「佐藤がいれば大丈夫」

今年4月に、前任の池端さんから仙台の子会社の社長を引き継いだ。

そのとき佐藤さんが最初に決めたのが、仙台に腰を据えること。現場のメンバーとコミュニケーションを取りながら信頼関係を築こうと考えたのだ。目標達成に向けたキャンペーンを企画して、盛り上げるためのポスターを作ったり、毎日上がってくる報告にスタンプを押してたくさん褒めたり、チーム一丸となり見事目標を達成した。最後は皆でケーキを食べて、喜んでもらえたことが嬉しかったという。

日々の癒しは、朝7時から時間をかけてつくり、しっかり食べる朝ごはん。調理中は仕事のことを忘れ、すっきりリフレッシュして会社に向かうという。
写真=本人提供
日々の癒しは、朝7時から時間をかけてつくり、しっかり食べる朝ごはん。調理中は仕事のことを忘れ、すっきりリフレッシュして会社に向かうという。

LINEに転職して、「めっちゃ、良かったです!」と佐藤さんの声がはずむ。

「今は信じられる人がたくさん周りにいて、いつも支えられています。だからこそ私も、『佐藤がいれば大丈夫』と思ってもらえる自分でありたいと思っています」と。