二度目の「逃げ出したい」

今度は本部へ異動になって、加盟店向けの広報誌や社内報の業務を担当することに。本部ではマーケティングにも携わり、資料の作成やプレゼンの仕方まで叩き込まれた。持ち前の負けん気で勉強に励み、仕事の手応えを感じていた矢先、さらなる転機が訪れる。入社10年目のことだ。

2004年にサークルKとサンクスが合併。このタイミングで柘植さんは、初めてマネジャー(課長職)に就任する。さらに東京本社への転勤を命じられたのだ。

慣れない東京での新生活がスタートし、新しい部署で営業企画に携わる。やがてチームもまとまって充実していた3年目、組織変更でチームはばらばらに。柘植さんは全社の予算管理をする部門へ異動になった。

「入社以来、二度目の“逃げ出したい”時期でした。私は数字に関することが弱くて、会計の知識も無かったので、打ち合わせで飛び交う用語がわからない。部下から聞かれることにも答えられず、本当につらかったですね」

『よくわかる決算書の読み方』など初心者向けの本を買って、何とか付いていこうと必死で勉強した。自分にできることは何かと考えて、何でも率先してやるように心がけた。

上司と部下の橋渡しになりたい。でも、なれない。

当時の部長はキャリアを積んだ財務のスペシャリスト。最初は指示されるまま部下に伝えていたが、そのうち自分のやるべきことが見えてきた。部下の思いを聞いていくうちに、彼らの意見を上部に伝える橋渡しが必要と思ったのだ。

しかし、昔ながらのやり方を守る部長とはぶつかることが増えていく。だんだん自分の心も疲弊していった。

「どれだけ勉強しても追い付けず、メンバーが大変なときも何もできないもどかしさがありました。仕事を終えて会社を出ると、涙がぽろぽろ出てきて止まらない。たえず仕事のことが頭から離れませんでした 」

思い余った末に転職を考えた柘植さんは、かつて営業企画で目をかけてもらった上司に相談する。

「もうしんどいです。このまま続けいくのは無理だと思うので……」と打ち明けると、上司は黙って耳を傾け、「今の会社でもチャンスがあるんじゃないか?」と。それからまもなく異動が決まったという。

次の配属先ではマーケティングに携わり、デザート商品のブランド立ち上げも経験した。モノづくりの現場に関わることは楽しく、カラーコーディネーターの資格を持っていたことも活きて、新たな仕事のチャンスにつながっていく。