体調は自分でコントロールできて当たり前なのか
先日、私は『食べることと出すこと』(頭木弘樹著/医学書院)という本を読みました。潰瘍性大腸炎という難病を抱えた著者が自らの日常生活についてユーモラスに書いた本です。
潰瘍性大腸炎になってから著者はほとんどのものが食べられなくなってしまいました。脂肪が多いもの、食物繊維が多いもの、果物でもイチゴのようにタネが取り除けないもの、コーヒー、紅茶、アルコールや甘いもの、乳製品もダメで、コショウやトウガラシのような刺激物もご法度です。
「こうして、一時間くらいの食事指導の間に、私の食大陸はほとんどが他国の領土となってしまい、残された我が領土は、驚くほどわずかなものだった」と著者は書いています。
ところが世間では偏食をする人は何かと非難されがちです。驚いたことに、難病で食べられない人に対してもそう簡単に納得しない人がいるのだそうです。
そこには「努力をすれば食べられるようになるんじゃないか」「病気は気の持ちようで治るんじゃないか」という、体調は自分でコントロールできて当たり前という考えが根底にあると思うのです。
潰瘍性大腸炎でも「食べられないのは努力不足のせい」だと説教される
潰瘍性大腸炎という難病が気の持ちようで治ることはないのに、この病気を抱えた人は「そんな性格だから病気になるのだ」というお説教の対象になりがちだといいます。
そこには自分の身体なのだから自分の努力で何とでもなるはずという健常者側の「勝手な解釈」があります。難病を抱える頭木さんは「努力は素晴らしいものだが、うまくいかないことを全て『努力不足のせい』にされたら、たまったものではない」と疑問を呈ていしています。
この本を読んでからと言うものの、私は以前にも増して、「健康に気をつけてがんばります!」が嫌いになりました。