「ヘレン・ケラーはどんな人?」日本とドイツの文脈の違い

子供の頃から日本語を勉強していた私は、当時、日本の小学生が読んでいた野口英世やナイチンゲール、ヘレン・ケラーなどの偉人の伝記を一通り読みました。

ドイツだとヘレン・ケラーは「障がい者の福祉制度に貢献した人」として知られています。でも日本ではヘレン・ケラー本人のがんばりにスポットが当たっている気がします。彼女が多くの努力を重ねたのは事実ですが、それが努力をすればどんな困難でも克服できるという文脈で語り継がれていることは疑問に思います。

自分ががんばることは大事なことです。でも全員にがんばることを求めてはいけません。たとえば、ヘレン・ケラーと同じ障がいを持っていても、同じような努力ができない人もいます。また、努力をしても同じ結果にならない人もいます。

障がい者を励ます時にヘレン・ケラーを出してはいけない

ドイツでヘレン・ケラーが「障がい者の福祉制度に貢献した人」として知られているのには理由があります。

サンドラ・ヘフェリン『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)
サンドラ・ヘフェリン『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)

彼女はアメリカの裕福な白人家庭の出身でした。だから両親はサリバン先生という家庭教師を雇うことができました。けれど、もしもヘレン・ケラーが黒人の貧困家庭出身だったら、家庭教師を雇うことはできなかったでしょう。努力をする機会さえ与えられなかった可能性が高いのです。

だからこそ、障がい者全員に助けがゆきわたるよう、欧米では、ヘレン・ケラーの話は福祉にスポットを当てて語られるのです。

障がいのある人が悩んでいるとき、健常者が「でもヘレン・ケラーは」と言って励まそうとすることは避けるべきです。

「やれば、できる」は自分自身を奮い立たせるために、自分自身にハッパをかけるために使うのはいいけれど、自分とは立場が違う人や、悩んでいる人に対して言ってしまうと相手を追い詰めることになりかねません。

サンドラ・ヘフェリン(Sandra Haefelin)
著述家・コラムニスト

ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。著書に『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)、『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)など。新刊に『ドイツの女性はヒールを履かない~無理しない、ストレスから自由になる生き方』(自由国民社)がある。 ホームページ「ハーフを考えよう!