※本稿は、サンドラ・ヘフェリン『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社)の一部を再編集したものです。
根性論で健康は語れない
「健康であることは喜ばしいこと」――世界中のどこの国であっても、どの文化圏であっても、この意見に異論のある人はいないと思います。
それでも私は「健康に気をつけてがんばります!」という言葉を聞くたびにドキッとしてしまいます。「健康なのは良いことだけれど、健康って努力や気をつけることだけで達成できるの?」と考えてしまうからです。
確かに自分が正しい体調管理をすることで、風邪をひいたり、病気になることを防げることもあります。十分な睡眠をとり、食生活に気を配り、適度な運動をし、規則正しい生活をすることが「身体に良い」のは誰もが認めるところです。
その一方で、風邪をひいたり、病気をした人に対して「それは本人の体調管理がなっていないからだ」と安易に決めつけるのは問題だと思っています。少し前まで日本では「ちょっと熱が出たぐらいなら、出社するのは当たり前」と考える社会人は少なくありませんでした。
誤解を恐れずにいうと、コロナ禍になって良いことがあったとしたら、熱があっても学校や会社に行くのが当たり前といった“根性論”がなくなったことだと思います。コロナ禍では熱が出たら休むことが求められているわけですから。
人間の身体について考えるとき、健康な身体を持った人しか視野に入れていないことは大きな問題です。